2023.03.17

脳科学者・藤井直敬と考える、ブレインヘルスと豊かさの関係(前編)

ウェルビーイングトーク しあわせの、これから。Vol.10
最近何かと耳にするトレンドワード「ウェルビーイング」をめぐり、さまざまなキーパーソンと東京・下北沢の本屋B&Bで考えるトークシリーズ。
第2回として10月26日(水)の夜、聞き手・Hakuhodo DY Matrixのマーケティングプランニングディレクター、田中卓氏が迎えたのは、脳科学者であり、テック企業ハコスコのCSOであり、教育者でもある藤井直敬氏だ。『脳と生きる——不合理な〈私〉とゆたかな未来のための思考法』(河出書房新社)や『つながる脳』(NTT出版)などの著書もある藤井氏に、脳科学の視点から、これからの時代、人はどうすれば豊かに生きられるのかを聞いた。

藤井直敬(医学博士、脳科学者) 東北大学医学部卒業、同大大学院にて博士号取得。1998年よりマサチューセッツ工科大学McGovern Institute研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター所属、適応知性研究チームリーダー他。2014年に株式会社ハコスコを創業。主要研究テーマは、BMI(Brain Machine Interface)、現実科学、社会的脳機能の解明など。東北大学特任教授、デジタルハリウッド大学大学院教授、一般社団法人XRコンソーシアム代表理事。

田中卓(Hakuhodo DY Matrix マーケティング プラニング ディレクター) 幅広い業種のマーケティング&ブランディング業務に従事。博報堂九州支社に赴任中の2016年に「Qラボ」を立ち上げ、九州を活性化するアクションを実施。2021年から、Hakuhodo DY Matrixに在籍。100年生活の「Well-being≒満たされた暮らし」のモデルをつくることを目指し、業務に取り組む。共著に『マーケティングリサーチ』(すばる舎)がある。

脳は基本、ナマケモノ?

田中 藤井さんは著書の中で「不合理な私の背景には、脳がある」と書かれています。私たちの脳にはどんな「不合理な」特徴があるのでしょうか。

藤井 ぼくらは誰しも、「自分は合理的に生きている」と思っていますよね。確かに、自分や他人の状態を意識的に言語化できる範囲では、一定の合理性が担保されています。でも、脳というのは意識的な部分だけで成り立っているわけではありません。実際にはその働きの9割が無意識の作用だと言われている。ぼくらはさまざまなことを無意識的に判断していて、それが「認知バイアス」の原因です。

突然機嫌が悪くなるとか、理不尽な理由で怒りだして周りを驚かせる人がいますが、あの「不合理」はまさに、脳が認知バイアスにコントロールされているために起きています。

また、脳は基本的に、エネルギーが不足しがちです。仕事の根を詰めると、頭がぼんやりしてきて甘いものが欲しくなったりするのは、そのせいです。脳は虚血にも非常に弱い。手足の場合は、多少血の巡りを止めても死ぬことはありませんが、5分血が巡らなかったら脳は確実に死んでしまう。脳というのは、常にギリギリの状態にあるのです。そのため、脳は認知負荷を嫌がります。ギリギリということは1つのことにエネルギーが消費されすぎると、他のことができなくなってしまうので、脳は認知負荷を上げないよう、常に楽なほうを選ぼうとします。認知バイアスは、その過程で生まれます。

有名なイソップ寓話『酸っぱいブドウ』は認知バイアスの好例です。高いところにあるブドウを取るには工夫を脳が考えることが必要です。それを「あのブドウはどうせ酸っぱいから」と判断し、取る必要がないことにしてしまえば、脳に負荷はかかりません。

そのように無意識レベルでは、脳は常に楽をしたがっています。意識上は「これが正しい」と思っていても、無意識の判断に「楽をする」バイアスがかかってしまうことがある。認知バイアスは無意識なので気づけないのが厄介ですが、誰にも一定程度かかっているものですから、まずはその存在を認め、不合理な自分を意識しておくことが大切です。そうすれば、脳と人格を分離することができます。

田中 私もときどき、「今日は疲れたから、この仕事は明日やろう」と後回しにしがちなのですが、それも認知負荷を避けたがる脳のせいなのかもしれません。そうした脳の特性を知った上で、自分のことも他人のことも理解したほうがいいということですね。

藤井 そうですね。やらない理由は無限に作れるものですが(笑)、それも楽をしたがる脳の特性ですからね。

自分のタイプを知ろう

田中 私たちはそうした脳の不合理さとどう付き合っていけばいいのでしょうか。

藤井 人間のやる気スイッチにはいくつかのタイプがあります。まずは自分がどんなときにモチベートされるのか、特徴を知っておくことが重要です。その後、周囲の人の脳も観察・実験しながら、どのタイプなのかを見極めていく。ぼくも会社で日々実践していますよ。

ぼくのような科学者に多いのはクリエイター型です。自分が発見したものや作ったものを「それすごいね、面白いね」と褒められるとすごくうれしいのですが、「そんな発見をする藤井さんってすごいですね」と言われても、まったくグッときません。

一方、自分が褒められることが一番重要な、承認欲求型の人もいます。ずっと学究畑にいて、それまで周りは科学者ばかりだっただけに、会社の設立以降、承認欲求型の人と出会うことが増えて驚いています。もっとも驚いたのは、自覚のない承認欲求型、「隠れ承認欲求型」の人です。「私は藤井さんと同じクリエイター型です」と言うからぼく自身がモチベートされるやり方で任せてみると、全然うまくいかない。自分が承認欲求型であるという自覚がないから周りが気づくのにも時間がかかるし、組織全体を破綻させてしまうんです。その人が辞めると、会社は元に戻るのですが。隠れ承認欲求型は恐ろしいですよ(笑)。

田中 藤井さんは、会社経営にも脳科学の観察・実験の視点を持ち込まれているのですね。

藤井 そうかもしれません。脳科学者として、もともと人間の社会性に関心があったんです。会社を作ってみたら、実にいろんな人がいる。つい社員のタイプ分けや行動予測をし始めたら、面白くなってしまって。コミュニケーションの社会実験は、皆さんにも日々実践ができます。「あの人ってこうするとこうなるよね」と仮説を立て、ちょっと押してみる。「やっぱりそうなった」ということもあれば「あ、これは違った」と引くこともあるでしょう。「この人は『マロン』と名の付くものに常に反応するな」といった発見もあるかもしれない(笑)。周囲の人のツボを探すのは楽しいですよ。

田中 脳の癖を見極めて、無意識にうまく働きかける方法を見出せれば、チームのマネジメントにも役に立つし、自分の状態も安定させられそうです。

オフラインの臨場性

田中 次に気になるのが、脳には無意識の部分が大きいというご指摘です。だとすると、人との関係性においても、言語以外の無意識の刺激が影響する気がします。ここ数年、オンラインで人と会う機会が増えていますが、オンラインでの人間関係は、脳や社会にどんな影響を与えるのでしょうか。

藤井 ぼくはコロナをきっかけに熱海に引っ越したので、仕事はほぼオンラインです。東京に来るのは月に数日。初対面がオンラインの人も増えてきました。その経験から、マイナスの影響というのは、あまりないような気がしています。

一方で、オフラインの強さは、確実にあると思います。

2021年立ち上げた「ブレインテックコンソーシアム」は1年間ずっとオンラインで活動していて、先日初めて理事の人たちとリアルで会ったのですが、会った瞬間、「何この臨場感! リアルって強い!」と感じました。その日は初のリアル会合ということもあり、立派なお弁当を会場に積んでいたのですが、それを見た理事たちは「ああ、もてなされている」と心動かされ、みんなニコニコしている。この臨場性はオンラインではあり得ないでしょう。人との深いつながりやエンゲージメントを作る上で、臨場性が果たす役割は大きいと改めて確信しました。

精神科医の斎藤環さんが「臨場性は暴力である」とおっしゃっていますが、その通りだと思います。人と人が生で会うときには、お互い無傷ではいられないものです。今日のイベントにしても、会場に来られた方には何らかの痕跡が残るでしょうし、何も残らないような会合に意味はないと思います。それこそが臨場性の価値であり、何らかの痕跡をお互いに残し合うことこそがオフラインの特徴です。

田中 実際に会うと、無意識のうちに空間の取り合い、競合関係が起きる、と著書にも書かれていましたね。

藤井 対面するとコンフリクト(衝突)が起きますからね。コンフリクトを解消するには、どちらかが引く必要が出てくる。引くと空間の取り合いにおいて負けた感覚になる。これはオンラインでは起きないことでしょう。

田中 臨場性の薄いオンラインでは、よりフラットな感じになりますね。

藤井 そうですね。怒鳴るなど、臨場性を使って場をコントロールしてきた人は、オンラインになって困っているはずです。だから「会社に来い」とか言うんでしょうね(笑)。

現実を疑い、定義する「現実科学」

田中 藤井さんは「現実科学」という研究テーマを立ち上げられ、デジタルハリウッド大学大学院で教えられていますが、「現実科学」とはどういう学問なのでしょうか。現実と科学という言葉の組み合わせを不思議に感じたのですが……

藤井 理科学研究所時代、ぼくは現在のVRと似たSR(Subsituational Reality、代替現実)の研究をしていました。これは、現在見えている映像と過去に撮影していた映像を重ね合わせ、過去に起きたことを今起こっているかのように見せる技術です。SRを使い、過去と現在を混ぜ合わせて、両者の区別を曖昧にするようなアート作品を作ったりしていました。

当時からぼくは、現実の脆弱性と、その脆弱性を疑わずに生きているぼくらの存在に不思議さを感じていました。体験型のアート作品の鑑賞者たちは、現実を操作され、やはり無傷ではいられません。それなのに、かれらは誰も現実に疑いを持たない。操作が容易なアート作品においてさえそうなら、ますます脆くなっていく実際の世界の中で人々は迷子になってしまうのではないか。それでいいのかと悩んでいたのです。そこで、現実を疑い、科学的に定義するための「現実科学」という学問を立ち上げたというわけです。

自分だけではとても答えが出ないので、まずはできるだけ多くの人の「現実」を集めようと、毎月1回のレクチャーシリーズを始めました。さまざまな有識者に「あなたにとって現実とは何ですか」という問いを投げかけ、話を聞いています。

ぼくらは今、西洋科学的な、非常に合理的な世界に生きています。あらゆる人が同じ現実世界で生活していると思っている。ぼくが「ここに机がある」と思って触れば机はあるし、皆さんがここまで歩いてきて触ればやっぱり机はある。そこには裏切らない現実があるわけです。これをベースに世の中を考えると、人間には「共通の現実」があることになります。例えば、色覚異常の人が見ている世界と、ぼくらが見ている世界は違う。絶対的な現実は厳然としてあるけれど、その外側にはその現実を違った仕方で認識する人たちがいる。かれらは標準的世界の外側に存在する——というのが、これまでのぼくらの社会の発想です。色覚の違う人、手足のない人、認知症の人は、障害者であり「外側の人たち」になる。

この発想は、非常に不幸だと思うんです。だって「現実」を認知する脳は一人ひとり、全員違うのですから。「標準的な脳」など存在しません。ぼくらは全員が標準的な一つの現実に生きていると思ってきたけれど、実はあらゆる人がまったく異なる現実の中に生きながら、何か共通のものがあると信じているだけなのです。だから、まずは自分の現実とは何かを定義し、他の人の現実を聞いてみることによって、現実の多様性が前提としてあることを理解する。そうしなければ、世界の成り立ちは理解できません。すべての人が違う現実を生きているという前提に立てば、「標準の外側の人たち」という意味での障害者は存在しないことになります。その意味でも、「現実科学」という学問を通して人々が自らの現実を定義すること、そこから世界を理解し始めることは非常に重要だと思います。

しかも、その定義は変化して良いのです。なぜならぼくらの脳は常に変わっているのですから。レクチャーシリーズも30回もやっていると、2年前に話してくれた科学者が「あのときぼくは現実をこうだと言ったけれど、今は違うんだ」と言ったりして、「ああ、やっぱり現実は変わりますよね」とすごくうれしくなります。

複雑化する世界を構成する4つの要素

藤井 最近では、テクノロジーによって天然の現実の外側に、もう1つ別の区別のつきにくい「人工現実」が出来上がりつつあり、その「人工現実」が「天然現実」と凄まじい勢いで混ざり合ってきています。ぼくらはすでに人工現実を現実の一部として消費し、対応して生き始めている。

天然資源の現実と、天然と区別のつかない人工的な現実。その2つが混じり合った状態を1つの現実と捉えなくてはいけない。さらに、各自の脳内には意識的な自分と無意識的な自分がいるので、今の世界というのは、①無意識の自分、②意識的な自分、③天然現実、④人工現実、という4つのパラメータで成り立っていると理解する必要があります。

人工現実が存在せず、意識的な自分だけを考えていればよかった時代には、世界はすごくわかりやすかった。今目の前で見ていて、言葉で説明できる世界がすべてだったからです。でももはや世界はそうじゃない。この世界を理解し直すのが「現実科学」なのです。意識的な自分と天然現実だけで完結していた世界は、わかりやすい一方で、取りこぼしがあまりにも多かった。無意識的な自分や人工現実が加われば、スタート地点からして人によって違うということになり、世界の理解はどんどん多様化し、隙間がなくなっていく。「現実科学」を追求することによって、世界はよりよい方向に進んでいけるはずです。

田中 私たちが自ら体験できることは限られているので、世界で起きている多くのことはSNSや動画やテレビで知ることになります。そうした外部情報にはどうしても他人の主観が混じる。そう考えると、純粋な「天然現実」というのはそもそも存在しないように思います。でも人工現実という概念を加えて両者を分けて理解すれば、世界の捉え方が豊かになりそうです。

藤井 この世界には天然と区別のつかない人工物が紛れ込んでいて、もはや分離不可能です。そういう世界だということを理解した上で、仕組みをわかっていること。これからを生き抜くぼくらが絶対に持っていたほうがいい知恵だと思います。

写真:平岩享

構成:高松夕佳

プロフィール
Well-being Matrix
Well-being Matrix編集部
人生100年時代の"しあわせのヒント"を発信する編集部。