藤井直敬(医学博士、脳科学者) 東北大学医学部卒業、同大大学院にて博士号取得。1998年よりマサチューセッツ工科大学McGovern Institute研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター所属、適応知性研究チームリーダー他。2014年に株式会社ハコスコを創業。主要研究テーマは、BMI(Brain Machine Interface)、現実科学、社会的脳機能の解明など。東北大学特任教授、デジタルハリウッド大学大学院教授、一般社団法人XRコンソーシアム代表理事。
田中卓(Hakuhodo DY Matrix マーケティング プラニング ディレクター) 幅広い業種のマーケティング&ブランディング業務に従事。博報堂九州支社に赴任中の2016年に「Qラボ」を立ち上げ、九州を活性化するアクションを実施。2021年から、Hakuhodo DY Matrixに在籍。100年生活の「Well-being≒満たされた暮らし」のモデルをつくることを目指し、業務に取り組む。共著に『マーケティングリサーチ』(すばる舎)がある。
藤井 通常、科学とは未来を予測する道具であり、再現できることが前提になっています。ここを押せばほぼ100%の確率であそこが飛び上がると仮定・実証し、その仕組みを明らかにするのが科学者の仕事です。
しかしぼくが再現のできない「一回性の科学」に興味を持ったのは、人の振る舞いに法則を見つけたかったからです。本来、人は平気で嘘をつくし、常に変化しているので科学にはなりません。それに対して、人が無意識にやっていることには嘘がほとんどありません。認知バイアスのせいで変な言動は起きますが、その言動には法則がある可能性がある。世界は一回性に満ちていて繰り返せないけれど、人間の無意識に働きかけたときに起きることには、再現性があるのではないか。そう考えると、人の振る舞いは非常に面白い科学になり得るのです。
田中 人とのつながりはウェルビーイングを高めると言われますが、科学的にはいかがでしょうか。
藤井 ウェルビーイングが他人を必要とするかどうかは、正直わかりません。それこそ人によるでしょう。人間というのは所詮、五感の繭に閉じ込められた孤独な存在です。自分の脳の外にはどうやっても出られない。その事実を受け入れた上で、自分と向き合う必要がある。ぼくはウェルビーイングとは、自分と向き合うことだと思っています。生命としてのどうにもならない孤独を受け入れた上で、自分のあり方を見つめることが、ウェルビーイングにつながっていくのではないでしょうか。
その一方で、今後はBMI(Brain Machine Interface)等のテクノロジーを使って、意思を自分の繭の外側に出し、他人の脳とダイレクトにつながることもできるようになっていくと思います。他人といくら手をつないでも、皮膚が邪魔をして溶け合うことはできませんが、脳同士が直結すれば境界がなくなり、溶け合ってしまう。そういう時代はいずれやってきます。
いきなり自分と他人の境界が溶け合ったとき、人はどうなるのでしょう。きっとすごく気持ちがいいに違いありません。いつかは体験してみたいものです。
田中 脳から情報を取り出すこと自体は、すでに実現していますよね。でも情報を脳に戻すことがまだできていない。
藤井 入れ方自体、今はまだ意識的な世界をいかに高精細に再現するかを追求している段階で、すべてが言語的なんですよね。もし非言語的な情報の処理方法が発明されれば、別の戻し方が可能になるかもしれません。脳が意識できるかできないかくらいのヒソヒソ声で無意識の層に語りかけるとかね。
田中 ノンバーバルな刺激を脳に直接入れるようになったら、「現実」自体が自動的にどんどん更新されていきそうです。
藤井 それに加えて将来、AIによるサポートシステムに頼るようになると、運動や作業の主体が自分なのか他人なのかはどうでもよくなる可能性があります。脳内で思い描いた画像が絵として出てきた場合、それは誰の絵なのか。もはや主体や主観は喪失していきます。先日対談したメディアアーティストの落合陽一さんがこんなことを言っていました。「AIを使って作曲していたら、長さ30秒の曲をAIが9秒で作っちゃって、衝撃を受けた。しかもいい曲だった」と。それを聞いて、ぼくは絶望しました。9秒で作曲された曲を消費するのに、人間は30秒をかけなくてはいけない。無限に創り続けるAIにぼくらは永遠に追いつくことができないのです。クリエイティブは、人間がどうこうできる範囲を完全に超えた、と感じましたね。
人が創るものはどんなにバラエティ豊かでも、所詮は点であり、点と点の間には埋まらないものがあった。しかしAIはその間を無限に埋めていきます。表現空間にはあらゆる絵や音楽や言葉がびっしり詰まっていて、人がこれから創造するものはすべてすでにそこにあることになってしまう。それって絶望しませんか? 村上春樹が書く前に、村上作品はもうそこにあるんですよ。
田中 まるでニーチェの永劫回帰ですね(笑)。AIが世の中のあらゆるものを生み出していくとすると、私たちは創る行為を放棄し、発見する行為に可能性を見出すほかないのでしょうか。
藤井 いや、発見さえなくなるんですよ。天然自然しかなかった時代には、発見には価値があったけれど、作られた人工自然には、発見自体がない。クリエイティブとは何かを、もう考える必要がなくなったということです。人が創るものすべてはすでに存在している。人間が3000年をかけて考えてきたものをデータベースとして、その隙間をすべてAIが埋めていっている。しかもランダムな文字列ではなく、物語として。
田中 すべては埋め尽くされているし、評価もAIによってされている。
藤井 そう。誰が作ったかはどうでもいいし、「いいね」と言うのだって人でもAIでもいい。もはや区別がつきませんから。
田中 私たちは、評価者AIが褒め続けて残ってきた珠玉の作品たちを「これ感動するでしょう?」と渡されて、「いいなあ」と感じる世界になっていく、と。
藤井 「いいなあ」と思うのは自分ですが、「俺がいいと思うもの」はすでに出来上がっている。いいと思うものを見つけるための努力さえいりません。
田中 それは……なかなかの世界ですね。
藤井 絶望するでしょう? ぼくは絶望しましたよ。一方で、人間側がスパース(sparse、まだらな)、スカスカであることには希望も感じるんです。人と人の隙間を人で無限に埋めることはできません。情報空間は何でもある「密」な世界ですが、人の作る社会はすごく「粗」なのです。落合陽一さんは「自分が感動できるかどうか」を指標にこの絶望を克服したそうですが、ぼくは社会のほうに希望を見出しました。
今この世界も絶望的な状況にあります。合理的にできていたはずの社会が、結局力に屈服するなんて、と忸怩たる思いがする。でもそれを超えられる可能性は確実にあるのだから、そちらに注力すればいいのではないかと思うんです。
田中 人間が「粗である」ことの可能性は、ウェルビーイングを考える上でも大きなヒントになりそうです。
田中 世界がそのように変わりつつある中で、どうすれば私たちは豊かに生きられるのでしょうか。
藤井 豊かさとは何かを考える必要があります。これまではそれは、総量の決まった物質的な富のことでした。富は均等には分配されず、それゆえ豊かさはまだらに存在していた。近年ではテクノロジーの発達により、非常に安価で、アクセス容易なデジタル情報の豊かさを誰もが享受できる時代になりました。デジタル情報が生み出す新しい豊かさはある程度均等ですが、電気に頼っている以上、無限ではないしコストもかかります。
そうした中でも無限なものといえば、やはり自分の脳の中から出てくるものだとぼくは思います。自分の頭で何かを紡ぎ出す行為は無限だし、そこから豊かさを作ることができるのではないか。それはすなわち自分の脳と向き合うことであり、自分を喜ばせることでもある。無意識の自分と意識的な自分の存在を理解した上で、その脳から生まれる無限のリソースを取り出す方法を、ぼくらはトレーニングし続けなくてはならない。豊かさとは結局、自分の脳の中にしかないのです。そこにアクセスしたければ、まずは自分の脳の特徴を理解することから始めるほかないのではないかと思います。
田中 脳は一人ひとり違うから、自分自身が豊かだと感じる体験を脳内で作り出す方法をトレーニングすることが、豊かに生きることにつながっていくのですね。
藤井 物理空間が与える豊かさではなく、自分が豊かだと感じる内的な状態は何かを、問い続けるということですね。
脳内から出られないことを考えると、結局、自分しかいない。これはどうしようもないことです。だから、まずはあなた自身が幸せになることを考えなければいけない。そうすれば、周りの人も幸せにできるかもしれません。
田中 自分の脳内で自らの豊かさを作り出すために、ブレインテックには何ができるでしょうか。
藤井 自分の内面って、特に無意識のところは意識できないから、見つめるのがすごく難しいわけです。でも脳の活動を計測すれば、内的な状態を可視化・数値化できるかもしれません。
例えば、今、脳の無意識下で緊張が始まったとわかって、その緊張を抑えるためのトレーニング法を知っていれば、緊張して失敗することを避けられる。実際、簡易的な脳波計はすでに売られていますし、自分の脳と向き合うための定量ツールが日常的に使えるようになれば便利だと思います。ウェルビーイングを求めて瞑想をする方も、ニューロフィードバックツールを使って自分に合ったリラックス方法を科学的に把握できるようになれば、先生のもとでトレーニングする必要がなくなります。
田中 自分の良い状態を脳波で確認できるから、トレーニングの精度が高まるんですね。
藤井 トレーナーが一緒に走ってくれるようなものです。ブレインテックを使えばゴールまで最短距離で辿り着ける可能性はあると思います。
いずれは、お化粧をせずに外を歩けない人がいるように、自分の脳波を計測しないまま人と会うなんて怖くてできない、となるかもしれません。
田中 それが当たり前になると、「今日は脳の調子悪くて生産性が上がらないから、会社に行くのやめよう」という言い訳も通用するようになるかもしれません(笑)。
最近では「利他」や「無我」という言葉も注目され、人間にとっての豊かさの幅が広がりつつあります。物質的な豊かさとは違うレベルの新しい「豊かさ」はどうすれば生み出していけるのか。「脳」への着目は、その大きなヒントになりそうです。今後も考えていきたいと思います。
写真:平岩享
構成:高松夕佳