2024.03.30

「トー横」や「グリ下」に若者が集う理由とは?

~幸せな居場所を切り口に、社会学者に聞きました~
東京・歌舞伎町の「トー横」や大阪・ミナミの「グリ下」などに集まるローティーンの若者たち。これらの路上ではトラブルや犯罪の発生などが問題視され、安全な場所とは言い切れません。

なぜそのような場所に若者たちが集まるのか、今回は彼らが求める場や人間関係を通して、よりウェルビーイングな「居場所」について考えます。若者が抱える問題やその背景を研究する社会学者の土井隆義さんにうかがいました。
<プロフィール>
土井隆義さん
1960年、山口県生まれ。社会学者。筑波大学人文社会系教授。著書に『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』など多数。2023年には東京都青少年問題協議会の専門部会に参画し、「トー横」に集まる青少年への対策や支援の素案を取りまとめた。

繁華街に集まる若者は居場所を求めている

――2018年ごろから、歌舞伎町の路地に集まる若者たちが話題になっています。こうした現象は新しいものでしょうか。

土井隆義さん(以下、土井):若者たちがどこかに集まるのは今に始まったことではありません。たとえば1980年代には、原宿の歩行者天国で「竹の子族」(※)が踊ったり、暴走族の若者が各地の路上にたむろしたりしていました。そういった場所は、親や教師など大人の目から逃れられる逃避空間だったのです。現代の「トー横」や「グリ下」に集まる若者にも、それらと共通する部分があります。しかしそれと同時に、現代の特徴もそこにはあるように思います。

※竹の子族……東京・原宿から代々木公園にかけて日曜の歩行者天国に集まった若者の集団。独特の派手な服装、音楽に合わせて踊る姿などが注目された。

――若者たちが集まるのには、どんな理由が考えられますか。

地元を嫌い、都会へやって来る若者の行動原理には、大きく分けて2つの面があります。1つは、地元が窮屈だ、人間関係がうっとうしいといった地元からの押し出し(プッシュ)要因。もう1つは、都会の文化や娯楽に憧れ、その魅力に引き込まれる(プル)要因です。これらは以前から見られたものです。しかし、「トー横」や「グリ下」に集まってくる昨今の若者たちの行動原理は、それだけではないようです。

――「トー横」や「グリ下」に集まってくる若者たちの場合は、何を求めているのでしょうか?

土井:繁華街に集まるローティーンたちの一部が刺激を求めているのはいまも同じでしょう。しかし、地元に「不満」があって、そこからの解放感を求めて集まってくる人たちは、刺激にある程度満足すると地元へ帰っていきます。一方、いま大きな問題をはらんでいるのは家庭や学校など地元に安心できる居場所がなく、「不安」を感じている人たちです。彼らは自分を受け入れてくれる居場所を求めて繁華街へやって来るので、そのまま残ってずっと居着いてしまいがちです。こういった若者は昔もいなかったわけではありませんが、近年になって急激に増えている。その意味で、これはまさに現代的な現象といえます。

――居場所を求めている人の状況について教えてください。

土井:地元に居場所がなくなった大きな理由のひとつは、意外に思われるかもしれませんが人間関係の流動化・自由化です。人間関係が流動的になって自由度が増せば、居場所は増えるのではないかと思われるかもしれませんが、じつは逆なのです。

ひと昔前までは、地縁や血縁といった共同体の縛りが強く、固定的で不自由な関係に若者は「不満」を抱えていました。しかし同時に、そういった共同体は安定した居場所を提供するサポート機能も果たしていました。それは家庭だけではありません。もし家庭で何か問題が起こったとしても、近所のお宅や祖父母の家などに別の居場所が用意されていたといえます。しかし現代では、そういった共同体の力が弱まり、人間関係がかつてより流動的で自由になった反面、居場所を提供する機能も衰えてきたのです。

同じことは友人関係についてもいえます。たとえば学齢期の若者についていうと、いまではクラスや部活といった同じ組織や制度にいることが友人関係を支えてくれる共通の基盤ではなくなり、つながっていたいというお互いの気持ちだけが関係の支えになっています。でもそれは自由である一方で不安定な関係ともいえます。いつもお互いの心を読み合っていないといけないからです。その結果、少しでも不安定さから逃れようと、自分と価値観が同じと思える人同士だけで関係を閉じて、それ以外の人とはあまり親しく付き合わない傾向が強まってきたのです。

こうして誰も自分をちゃんと見てくれていないかもしれないという「不安」が強まるようになり、そんな人間関係の不全感を抱えた若者が、自分と同じ価値観を持っている仲間を求めて、そんな相手との安心できる居場所を求めて、「トー横」へやって来るようになったのです。そこは身の安全な場所とはいえないかもしれませんが、心理的な安心感を得られる場所として機能しているのだと思います。

――インターネットで「トー横」を知って現地に向かうケースもあると聞きます。ネット上のコミュニケーションと現地でのやり取りでは、何が違うのでしょうか。

彼らが求めているのは居場所です。ネット上のコミュニケーションだけでは得られないものが現地にはあるのでしょう。それは嗅覚や触覚、生身の身体の温もりといった感覚だけではありません。リアルな対面状況では、顔色や声色、仕草といった意図せず発している情報がけっこうな量と重さを持っています。そして、そういったお互いにコントロールしきれない情報を否応なく共有することで、居場所の安定感は確保されていくものです。そこでは関係が多面的になるからです。しかしネット上では、それらの雑多な情報がノイズとして容易に切り落とされてしまいます。その結果、理想通りの関係を築きやすい反面、その関係は一面的で不安定なものになりがちなのです。

たとえば、ネット上に自撮りなどをアップして、指1本で「いいね」をもらうだけでは、その場限りの承認欲求しか満たされません。いくら承認の数が集まっても、それは取り繕った自分に向けられたもので、その承認の質は保証されていない。一つ一つの承認はあまりにも軽いのです。そのため、少しでも安定した承認を、その重さを求めて、リアルに集まろうとしているのだといってもよいかもしれません。

ウェルビーイングな居場所に必要な、2種類の人間関係

――居場所として機能する面があるトー横ですが、安全な場とは言えません。改めて、ウェルビーイングな居場所には、どんな条件が必要ですか。

土井:社会学には「ソーシャル・キャピタル」という概念があり、そこでは二つの関係の重要性が指摘されています。一つは「同質的な関係」で、共通点のある者同士がお互いに共感しあって団結を強めていく関係です。もう一つは「異質的な関係」で、違うタイプの者同士がお互いに刺激を与え合って世界を広げていく関係です。前者は結束(ボンディング)型、後者は架橋(ブリッジング)型と呼ばれています。

ウェルビーイングな居場所には、この2つの関係がバランスよく包含されていることが重要だと思います。私たちは孤立を回避するために「同質的な関係」を求めがちですが、そういった関係だけでは、もし仲間うちで自分だけがつまずいて周囲との共通点を失ってしまうと、一挙に孤立してしまうことになります。本当の意味で孤立を回避するためには、「異質的な関係」をもっておくことも大切なのです。同質性を前提とした承認は、あくまでお互いに似ているという条件付きの承認にすぎません。そうではなく、無条件の承認を得られるのは、じつは異質性にもとづいた関係からなのです。

――こうした居場所は、「トー横」に集まらない大人世代にとっても重要ですか。

土井:そのとおりです。「絆の大切さ」といった言葉に象徴されるように、居場所というと、一般的には、たとえば「同じ日本人だ」とか、「同郷の人間だ」とか、「血を分けた家族だ」とか、同質性の面にばかり目が向けられがちです。しかしウェルビーイングにとっては、異質性もバランスよく含んだ関係をもっていることが大切なのです。

自分が充実感を得られるものは? 選び、やり直せることが重要

――「トー横」に集まる若者への具体的な支援には、どのようなものが考えられますか?

土井:まずは居場所づくりです。地元に安心できる居場所がないから、「トー横」に集まって来るのです。家庭や学校以外にも安心できる居場所が地元にあれば、彼らの承認欲求はそこで満たされるでしょう。しかし若者には、危険が伴うからこそ繁華街に新鮮な刺激を感じ、その魅力に惹かれて集まってくる面があるのも事実です。

犯罪被害を防ぐために安全な場所をいくら行政が用意しても、それでは刺激が足りなくて、若者は寄ってこないと思います。お膳立てされたものではつまらないのです。これは難しい問題ですが、まずは民間の支援団体の活動を行政が支援する形がいいのではないかと思います。そうやって地元にも居場所ができ、「トー横」も徐々に安全な街になれば、「トー横」は若者にとって魅力的な場所ではなくなるでしょう。

ここで忘れてはいけないのは、「トー横」へやって来る若者の親に対する支援の大切さです。孤立している若者の親は、またその多くが孤立しています。子どもの問題で困っていても、その悩みを誰にも相談できないケースが多々あるのです。

最後に付け加えておけば、「トー横」とは別の刺激を見つけることができるように、若者の視野を広げさせる仕組み作りも有効だと思います。「トー横」よりも、もっと充実感を得られるものやその場所があれば、今度はそちらへ足を向けるようになるでしょう。

――別の刺激とは、たとえばどんなものですか。

土井:我を忘れて打ち込めるものです。あるいは、それを提供してくれる場所です。それがあれば、「トー横」で得ていた充実感を超える刺激となってくれます。アニメや漫画などの趣味から、スポーツ、起業などのビジネスまで、何でもよいのです。刺激の種類は人それぞれ、千差万別です。

現代は、誰もが孤立を感じやすい時代だといえます。私たちは、地縁や血縁のような共同体による束縛を嫌い、その「不満」からの解放を求めて、人間関係の流動化・自由化を進めてきました。その結果、私たちは大きな自由を手に入れました。しかしその代償として、孤立することへの「不安」も同時に抱え込んでしまったのです。

でも、考えてみてください。それは、周囲の人間関係に引きずられたり惑わされたりすることなく、自分の好きなものに自由に打ち込めやすい環境になったということでもあるのです。そして、その対象から得られる刺激こそが、私たちの抱え込んだ「不安」を忘れさせてくれます。それは、その対象から自分が承認されているということでもあるからです。

しかし、何が自分にとって良い刺激となるかは、人によって異なります。また、それは実際に触れてみなければ分からないものだともいえます。いろんな選択肢に触れられて、そして何度失敗してもやり直しのできる環境。それこそが、本当の意味でのウェルビーイングな場所といえるのではないでしょうか。

編集後記

取材前はなぜ危険を伴う「トー横」や「グリ下」に若者たちが集まるのか疑問でしたが、その背景には現代社会ならではの理由がありました。

特に大人になってからは、「自分に合った居場所」と聞くと趣味や価値観が合う人同士の関係を想像しがち。しかしウェルビーイングにおいては、同質性だけが居場所の条件ではないようです。お互いに合わない部分があっても、いい関係が築ける可能性がある。そう思えば、人と関わること自体にも前向きになれるのではないでしょうか。

(執筆:姫野桂/編集:ノオト)

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