2024.04.04

「恋愛離れ」というけれど……本当に人生に恋愛は必要ないのか? 恋を考えたくなる3作品

ドラマ『ウソ婚』、映画『アリスとテレスのまぼろし工場』、マンガ『ルポルタージュ』
好きな相手と両想いになることを「恋愛成就」というように、恋愛には「願い」や「欲」をかなえていく一面も。一方で、そもそも「恋愛がうまくいけば人生は幸せ!」という恋愛至上主義な価値観が変わってきた2020年代。幸せの形は多様化し、恋愛とは異なる人間関係やひとりの時間を大切にする人もいます。

今、人々は恋愛にどんな願いを見出し、何を求めているのでしょうか。自分や他者の価値観と向き合うことで、ウェルビーイングのヒントが見つかるのでは? 今回はドラマ・映画・マンガといったエンタメから、さまざまな角度で恋愛を描く3作品を紹介します。

恋愛がなくても生きていけるという発見

「若者の恋愛離れ」という言葉が耳タコになって久しい。「人生に恋愛は欠かせない」――そんな価値観はいまや時代遅れ。逆に、恋愛のない人生のほうがラクという価値観に共感する人が増えている。

たとえば、数多くの恋愛ソングを世に届けてきた秋元康は2023年、乃木坂46の33枚目シングル表題曲として「おひとりさま天国」を制作、年末の紅白歌合戦の出場曲にもなった。明るく盛り上がる曲調で「恋愛はトラブルとストレスを招くもの。恋愛から解放された『おひとりさま』は自由で気楽で『本当の自分』でいられる」という価値観を歌う。

秋元は「世間の空気」に敏感な作詞家だ。恋愛への忌避感がマジョリティになりつつある世の中を掴み取って、80万枚(※Billboard発表値)を超えるヒット曲に変換している。「恋愛しない」ほうが今っぽい、それが2023年だったのだ。

個人的な経験だと、筆者は人から「恋をしたことがない。だけど、恋愛すべきなんでしょうか?」という話を聞くことが増えた。年下の友人と喋っていたら、「恋心を向けるのって加害じゃないですか?」と言われて、深く考え込んでしまったこともある。

恋愛の話をすること自体、遠ざけられる風潮もある。たとえば仕事の場で文脈なく恋愛の話を投げ込んだらセクシャルハラスメントになるのは当たり前だし、男女で仲良く遊んでいる関係に「付き合っているの?」なんて水を向けるのはナンセンス。そもそも恋愛対象が異性とも限らないし、恋愛に興味がない人の存在も可視化されている。

「恋愛がない人生でも幸せ」という考え方に対して、共感する人は増えている。一方で「人生に恋愛は必要ない」と言い切ってしまうのにはためらいがあるのではないだろうか。

恋愛とどう付き合っていくべきなのかを、私たちは悩んでいる。本稿では、3つのエンタメ作品を通して、恋愛と人生の関わりを探っていきたい。

恋愛感情はグラデーション――『ウソ婚』

テレビドラマの世界は、真っ先に「恋愛離れ」の壁にぶつかったといわれている。ここ数年大ヒットしたドラマに恋愛ものは少ない。

とはいえ、ドラマ業界は各クール手を変え品を変え恋愛ものを作っては送り届ける。2022年に社会現象となったのは『Silent』だが、2023年に大健闘した恋愛ドラマとして夏クールの『ウソ婚』を挙げたい。

画像提供=PIXTA

傲慢な敏腕建築士・匠が、偶然再会したおさななじみの八重に偽装結婚(ウソ婚)を迫る――という、近年女性向けエンタメで王道のひとつになっている「契約婚」もの……と思いきや、実は男は女への片思いをこじらせており、結婚はウソだが恋心はホント、というひっくり返しが1話から用意されている。

制作陣は、このドラマのねらいを「羅生門スタイル」と呼んでいる。ひとつの思い出が、ひとつの言葉が、人によって意味が変わる。あの瞬間後ろを向いていたあの人は、実はこんな表情をしていた……そんな心の動きの「ネタバラシ」が、毎週毎週起こる。

リアルタイムで見ている視聴者は、キャラクターの感情を「考察」しながら見ていく。さらに次の話数で気持ちが明かされると、前の話数を見直して「伏線」に驚く。恋愛エンタメがミステリのように楽しめることで、ヒットにつながった。

一番印象的だったのは、匠の仕事仲間であり友人の進藤がフィーチャーされた回。進藤は匠と八重の結婚を怪しみ、何度も探りを入れる。進藤のようなキャラは、八重に横恋慕して関係をひっかきまわすような役割を与えられがちだ。

しかし物語は、進藤の抱えていた「ウソ」を、匠のウソ(ホントに八重のことが好き)と同じ重さで描く。その思いを感じた八重は、進藤と信頼関係を結ぶ。同じく匠の仕事相手のレミも、恋愛ドラマの「あるある」キャラのように見せかけて、実は……というところに着地している。この2人は最終話まで厚みのあるていねいな描かれ方をしていた。

『ウソ婚』が教えてくれるのは、「恋愛感情」とひとくくりで語られがちな感情が、実は豊かなグラデーションをもっているということだ。

恋のように見える友情もあるし、友情のように見える恋もある。分かれていないことだってある。キャラクターたちはそんな複雑な感情を宝物のように大切にして、たとえ恋が成就しなくても幸せそうに前を向く。

世界を壊す恋愛――『アリスとテレスのまぼろし工場』

恋愛の明るい面を見れたのが『ウソ婚』なら、マグマのような一面を見せてくれるのが2023年公開のアニメ映画『アリスとテレスのまぼろし工場』。

脚本・監督は岡田麿里。岡田はこれまでも人間のドロドロした部分や、きれいなばかりでない恋愛感情を描く作風に定評がある。本作はそんな”岡田節”が炸裂している。

©新見伏製鐵保存会

14歳の正宗は、製鉄所のある町で暮らしている。製鉄所の爆発事故をきっかけに、正宗たちの町は止まった時の中に閉じ込められてしまう。町以外の世界の時は進んでいるのに、正宗たち住人と街は、爆発の日からずっと終わりの見えない冬を繰り返す。いつか元に戻れることを信じて、住人たちは「爆発が起こった日から何も変わらない」ことを自分たちに課す。好きなものも、やりたいことも、仲のいい人も、好きな人も……。

ある日、正宗は同級生の睦実に声をかけられる。「退屈、根こそぎ吹っ飛んでっちゃうようなの見せてあげようか」。睦実に連れられた先で出会ったのは、この世界で唯一成長する謎の少女だった。

停滞した世界をブチ壊すのが恋愛のエネルギーだ。恋をすること、恋をしていると認めることで、キャラクターはぶっ飛んだ行動をするようになる。「そんな行動しちゃっていいんだ!?」と思うようなことを平気でするし、「えっ、あなたがその人にそんなことを言っていいんですか……」とドン引きするようなことも言う。

クライマックス、睦実はこう言い放つ。「正宗の心は私のもの」。このセリフは作品の中では、めちゃくちゃえげつないタイミングで、えげつない相手に対して言われている。そのえげつなさに心が動く。

恋は、究極的には「特定の人(たち)を、他の人よりも特別に扱うこと」だ。優遇し、差をつけて、区別する。判断基準も行動基準もふだんとは変わってしまう。恋のもつ「正しくなさ」がイヤで、恋愛から距離を置こうとする人もいるだろう。

むしろ、恋愛は正しくないがゆえの爆発的なエネルギーをもっている。破壊的なエネルギーは、良くも悪くも人生を変えていく。……『アリスとテレスのまぼろし工場』から伝わってくるのはそんなメッセージだ。

恋をしない社会の中で――『ルポルタージュ』

最後に紹介したいのが売野機子のマンガ『ルポルタージュ』。2017年に連載がスタート、途中で掲載誌が変わり、2019年に完結した。前半3冊にあたる『ルポルタージュ』(幻冬舎)、後半3冊にあたる『ルポルタージュ ‐追悼記事‐』(講談社)の全6冊の物語だ。一応前半ずつ、後半ずつで読んでもいいようにはなっているが、通して読むのが一番いい。

売野機子『ルポルタージュ ‐追悼記事‐(1)』(講談社)

舞台は2033年。恋愛を回避する若者が増え続け、恋愛をスキップしてパートナーを選ぶ「飛ばし」という価値観が広まってきた現代日本。恋愛を介さずに人生のパートナーを探すためのシェアハウス(非・恋愛コミューン)が立ち上がり、注目されていた。しかし悲劇が起きる。そのコミューン住人30名が、押し入ってきたひとりの男によって銃殺されるというテロ事件が起きたのだ――。

主人公は、女性の新聞記者・聖。彼女は後輩女性記者・絵野沢とともに、テロ事件の被害者の人となりを描いたルポを書く仕事を担う。取材を通して出会った國沢に急速に惹かれる聖。「私は今まで手触りを軽視していたのだとわかった」。聖は被害者たちのルポルタージュ(追悼記事)を書くための取材と、自身の恋の中で、恋愛の輪郭に触れていく。

この作品は、読み返すたびに「社会を予言しすぎている……」とふるえる。連載中の2017〜2019年よりも、今読んだほうが描かれているものを理解できている気がする。

作中で「恋愛を介さずに人生のパートナーを探す」というひとつの理想に賛同している人たちも、恋愛をしないこと(あるいは恋愛)に何を求めていたのかはそれぞれ違う。たとえば、ひとりはアセクシャル・アロマンティック(他者に性的惹かれ、恋愛的惹かれをしない)的な性質を持っていた人だったし、ひとりは恋愛に深く傷ついていた人だった。

『ウソ婚』が恋愛感情のグラデーションを教えてくれたように、『ルポルタージュ』は「恋愛しない」にも複雑で豊かなグラデーションがあることを教えてくれる。

読者は、聖の取材と、聖自身の恋愛を追いかけるうちに、いろいろな問いにぶつかる。

恋愛を求めない人は、どのようにして求めないのか? 恋愛はわずらわしく、ダサいものなのか? 恋愛を大切にしている人は、社会の変化にどんな鬱屈を感じるのか? 恋愛がダサく、「遅れている」ものになった社会で、恋をするというのはどういうことなのか? 誰からも愛されたことがないと思う人は、恋愛を求めない人に対してどんな気持ちを抱くのか……。

その問いに、聖は聖なりの答えを出す。

恋愛エンタメはあなたの鏡

ここで、最初の「本当に人生に恋愛は必要ないのか?」の問いに戻りたい。

この問いのひとつの答えは、「人による」というものだ。これまで、恋愛が必要のない人は肩身の狭い思いをしてきた。すべての人に恋愛が必要でないことがようやく理解されるようになってきて、解放された人は確実にいる。と同時に、恋愛することが当たり前でなくなったことで、自分には恋愛が必要だと"再発見”できた人もいるだろう。だから質問が正しくなくて、「他の誰でもない、"私の人生”に恋愛は必要なのか?」と問いかけるべきなのだと思う。

もうひとつの答えは、「恋愛」という概念を見直してみることだ。3つ挙げた作品のどれも、ひとつとして同じ感情や関係は描いていない。もしかしたらみんな気づかないうちに、「恋愛」が指すものの幅を狭めているのではないだろうか。

恋愛は一筋縄ではいかなくて、ひとことでは絶対に言い表せない。たくさんのエンタメを通してようやく「わかったかも」と感じる瞬間がある。その発見(もしかしたら錯覚)は、自分の価値観の発見でもある。

恋愛エンタメが「響いた」(あるいは「不快に思った」)とき、作品ではなく自分にも問いかけてみてほしい。どこにどうして刺さったのか。エンタメを通じて、私たちは社会の形も、自分自身のことも、人生のことも考えられる。そうしてようやく、「私の人生に恋愛は必要か?」の問いに対して、自分だけの答えを出せるのだ。

(執筆:青柳美帆子/編集:ノオト)

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