2023.07.03

「感謝されたいからする行為」の危うさを知り、もう一度よりよい社会を取り戻す

「利他」でウェルビーイング

要約すると

  • 利他的行為とは、行為の受け手を想像する配慮が求められるもの。

  • 感謝されたいがためにする行為にではなく、ふいに行なった行為が偶然性によって相手から感謝されることに利他の本質がある。

利他的な振る舞いが持つ危険性 

コロナ禍によって関心の集まる「利他」。広辞苑には「自分を犠牲にして他人に利益を与えること。他人の幸福を願うこと」とあります。たとえば、マスクをすること、行動を自粛すること、ステイホームすることなどもその1つだと言うことができるかもしれません。 

同時期に、フランスの経済学者ジャック・アタリの「合理的利他主義」という考え方も世界中の目を引きました。これは、「他者に対して利他的であることが、自分に利益の最大化をもたらす。だから、利他的な振る舞いをすることこそが、合理的な選択である」というもの。 

「利他主義は最善の合理的利己主義である」、そんなアタリの主張に対して、東京工業大学未来の人類研究センターで「利他プロジェクト」を進める中島岳志は、著書『思いがけず利他』の中で強い疑問を投げかけます。 

「利己的欲望の実現やサバイバルのために『利他』を利用する行為は、利他が持っている豊かな世界を破壊し、利己的世界観の中に閉じ込めてしまうのではないか」と。そして、「利他のバトンを受け取る側になったときに、利己的なメッセージ付きの贈り物は嫌な気持ちになるのではないか」とも書きます。 

他者から支援されたり、力を貸してもらい困った状況が良くなったりすることで、相手に感謝の気持ちが湧くことがあります。一方では、他者に手を貸したり、贈り物をしたりすることで感謝され、うれしい気持ちになることもあります。そうした関係が円環的につながればどちらにとっても幸福なのですが、ことはそう簡単ではないのです。 

「利他」の本質を考えてみる 

ここで思考実験をしてみましょう。 

他者から親切を受け取ったとき、感謝が期待されていると感じられたらどうでしょう。あるいは、いつか返礼をしないといけないという気持ちが湧いてくる場合もないでしょうか。特に、受け取ったものが過分な場合は、負債感を覚えるものです。「借りを作る」のが嫌で、他者に助けを求めないという人もいますし、本人にとっては利他的であっても、受け手にとっては押しつけの親切であることもありえます。そして、余計なお節介が、ともすると暴力性を孕むものにもなってしまうのです。つまり利他的行為には受け手の側を想像する配慮が求められるのです。だからこそ合理的利他主義の危うさは、行為の動機にあります。直接的であれ間接的であれ、将来的な見返りを求めるその動機は果たして利他の連環を生むのか。いや、反対に断ち切る可能性があるのではないか—— 

中島が考える利他の本質は「思いがけなさ」です。それは、「とっさに」「ふいに」「つい」「思いがけず」行ったことが、他者に受け取られ、利他と認識されたときに事後的に起動するもの、だといいます。そして本書では、その核心を、古典落語の噺『文七元結』に見出していきます。さらに、親鸞の教え、ヒンディー語の与格構文、インド人数学者ラマヌジャンの数式、『遠野物語』、志村ふくみの染色、土井善晴の料理、民藝、認知症などを通して、西洋の合理主義的な説明では描ききれない利他の豊かな世界を紡いでいきます。 

利他とは何かを、アジアの思想・文化的観点から深く考えさせてくれる1冊です。 

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Well-being Matrix編集部
人生100年時代の"しあわせのヒント"を発信する編集部。