2023.03.17

臨床心理士・伊藤絵美に聞く、ウェルビーイングへつながるセルフストレスケアのすすめ

ウェルビーイングトーク しあわせの、これから。Vol.9
経済的な豊かさとは異なる「幸せ」とは、何だろう。その答えは一人ひとり異なるにしても、「幸せ」を持続的に感じられる状態(ウェルビーイング)には、心の健康が不可欠だ。
ストレスの絶えない現代社会を生きる私たちが、心を健やかに保つにはどうしたらいいのか。落ち込んだとき、自ら立ち直るにはどんな方法があるのか。
洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長として長年ストレスケアにかかわり、『セルフケアの道具箱』(晶文社)、『世界一隅々まで書いた認知行動療法・認知再構成法の本』(遠見書房)など多数の著書もある伊藤絵美氏と、Hakuhodo DY Matrixのマーケティングプランニングディレクター・田中卓氏が、セルフケアの意義と方法について話し合った。

伊藤絵美(公認心理師、臨床心理士、精神保健福祉士) 千葉大学子どものこころの発達教育研究センター特任教授。慶應義塾大学文学部人間関係学科心理学専攻卒業。同大学大学院社会学研究科博士課程修了、博士(社会学)。専門は臨床心理学、ストレス心理学、認知行動療法、スキーマ療法。2004年より認知行動療法に基づくカウンセリングを提供する専門機関「洗足ストレスコーピング・サポートオフィス」を開設。

ストレスを認め、ケアしよう

より豊かに暮らし、幸せを感じるウェルビーイングを実現するために、ストレスとどう向き合えばいいのかと問う田中さんに対し、伊藤さんはまず、ストレスをなくすことに幸せを見出すのではなく、ストレスを認め、自らケアできるようになることが重要だ、と強調した。

伊藤「ストレスというのは時代にかかわらず、大なり小なり必ずあるものです。生きている限り、ストレスをなくすことはできません。だからこそ、ストレスをなくそうとするのではなく、むしろ自分はストレスを受けているのだとまず気づいて、その状態から自らを助ける『ストレスケア』を身につけることが心の健康につながります」

ストレスに対処できればつらい状態が軽減されるし、対処できたという達成感は、自己効力感を向上させる。つまり、ストレスと向き合い、乗り越えることによって幸せな気持ちが生まれるというのである。

伊藤「気づきの力がすごく大事なんです。ストレスはあってはならないものだとか、苦しんではいけないと考えるのではなく、自らの中に今苦しみがある、そのことに気づくことがファーストステップです」

人のものの見方への関心から、基礎的な心理学を研究するようになった伊藤さん。自身も、人間の心のメカニズムを知ることで、腑に落ちることがたくさんあったという。

伊藤「ストレスにしても、苦しみの正体がわからないから余計苦しくなるんですよね。『ああ、こういうことで、こんなふうに自分は苦しんでいたんだ』と気づけば、苦しみと距離を置くことができます。自分の胸の中にあるモヤモヤしたものを手に取って眺めるような感じです。しっかり距離を置いて見る、観察するだけで、ストレスレベルは下がっていきます」

自らの状態をただあるものとして受け止める

自分の中にストレスによる苦しみがあることはわかった。では、その次はどうすればいいのだろう。

伊藤「自分の苦しみに気づいたら、それを決してジャッジしない。よい/悪いの評価や判断を加えずに、『ああ、自分は今こう感じているんだな』と、ただ距離を置いて眺め、手放すようにしましょう。うつ病が悪化する人というのは、落ち込んでいる自分の状態を『こんなことぐらいで落ち込むなんて、なんて自分はダメな人間なんだろう』とマイナス評価して、さらに深く落ち込んでしまいがちです。でも落ち込み自体を悪いものと判断しなければ、自らの状態を受け止めやすくなる。苦しみの沼にはまり込りにくくなります」

苦しみの沼にはまり込んで抜け出せなくなることは誰にでもある。沼から足を抜き、自らを客観的に俯瞰するのに有効だとして、伊藤さんが例に挙げたのが「うんこのワーク」である。

田中「何か出来事があったとき、ついマイナスの発想をしてしまうことってありますよね」

伊藤「ありますね。そのような瞬間的に頭に思い浮かぶ考えやイメージのことを『自動思考』と呼ぶのですが、自動思考はストレスと同様、コントロールすることができません。うんこのようなものなのです。パッと出てきちゃった思考は『そんなこと考えちゃダメ』と否定するのでも『なぜそんな考えが浮かんでしまったのだろう』とクヨクヨするのでもなく、『ああ、出ちゃったね』と眺め、水洗トイレを流すかのように受け流すと、すっきりしますよ」

内なるチャイルドの声に耳を傾ける

自動思考など、認知の浅いところで感じるストレスは、判断を下さず客観的に眺めることで、手放すことができるかもしれない。その一方で、心の奥深くの傷やトラウマがウェルビーイングを阻害していることもある。その状態を伊藤さんは、「内なるチャイルド(子ども)」が傷ついているのだ、と言う。

伊藤「内なるチャイルドが抱える傷は根深く、簡単に変えたり手放したりできない、厄介なものです。そうしたクライアントさんに対し、セラピストは傷ついたチャイルドを育て直すようなイメージでかかわっていきます。愛されたい、安心したい、『上手だね』と褒めてもらいたいといった、子ども時代に誰もが抱いていた、人間として満たされて然るべき欲求を満たしてあげるのです」

内なるチャイルドへのはたらきかけは、心がけ次第で自分でも少しずつできるようになる。

伊藤「まずは、自分のチャイルドに名前をつけます。お腹のあたりにチャイルドがいると想定して、『おはよう、**ちゃん』と声をかけることから始めてみましょう。

ポイントは、チャイルドの欲求に忠実になること。小さなことでいいんです。たとえばコンビニにランチやおやつを買いに行くときには、自分のチャイルドに『何食べたい?』と聞き、チャイルドが食べたいと言ったものを買ってみる。私たちはついカロリーや値段、栄養を頭で考えて食べるものを選びがちですが、それをやめて、チャイルドが『シュークリーム』と言えば、シュークリームを買ってみるのです。なぜならそれはその人が本当に欲しているものだから。買ったシュークリームを大人のあなたとチャイルドのあなたの2人で『おいしいね』と言いながら食べるだけで、ちょっと幸せになっていることに気づくと思います」

悲しいときやつらいときには、泣いているチャイルドを「しっかりしなさい」と叱咤するのではなく存分に泣かせてあげれば、スッキリする。そうした小さなことの積み重ねによって、解離していた頭と心が近づいていく。その説明には田中さんも大きく頷く。

田中「かつてサッカーの本田圭佑選手がイタリアのクラブチーム、ACミランに移籍したとき、『心の中のリトルホンダが答えた』と言って話題になりましたが、彼も内なるチャイルドの声に耳をすましていたのですね」

伊藤「まさにそうだと思います。私自身、かつては、来た仕事を断るという選択肢を考えたことがなかったのですが、自分のチャイルドに相談し始めると、実は自分にもやりたくない仕事があったことに気づいて。チャイルドが『嫌だ』と言った仕事は可能な限り断るようにしたところ、すごく楽になりました」

ぬいぐるみと「推し」が心を動かす?

伊藤「人間としての本来的な欲求を押し殺している人、感情を感じないようにしている人、頭で生きている人がすごく増えています。それは世間的にはよいことなのかもしれませんが、心理学的には最悪の状態です。つらい感情を含め、自分の感情に気づくためにも、頭の自分と内なるチャイルド、つまり最も大切にするべき自分との対話は有効です」

内なるチャイルドを感じやすくするのにおすすめなのが、大切にしたり愛でたりする対象を持つこと。伊藤さんはその例として、ぬいぐるみと「推し」を挙げた。

伊藤「うちのオフィスで今流行っているのが、ぬいぐるみです。ぬいぐるみを抱っこすることで、内なるチャイルドを抱っこする感じが持てるのでしょう、心が動くんですよ。最初は『いや、僕は……』と敬遠していた男性のクライアントさんでも、『いいから抱っこしてみなさいよ』と押しつけると、だんだん撫で始めたりして(笑)。次の回には自分のぬいぐるみを連れてくるようになります。何かを愛でること、大切にすることは、自分の内なるチャイルドをかわいがることにもつながるのだと思います」

田中「心理学者で行動経済学者のダニエル・カーネマンが『人は、必ずしもそれらが幸福に直結しないにもかかわらず、所得などの特定の価値を過大評価してしまいがちである』という『フォーカシング・イリュージョン』を提唱していますが、自らの本当の心の欲求に気づくようになれば、そうしたイリュージョンからも解放されそうですね」

好きなアイドルやキャラクターを応援する「推し活」も、おすすめだ。誰かを応援することで得られる活力や仲間の存在は、平凡な日常にハリを与え、人を生き生きさせる。

伊藤「『推し』を応援することで、ネガティブな方向で自分に執着する自己注目を回避できます。推し活は心の健康に大いに役立つと思いますよ」

感情を、取り戻す

人間本来の感情をシャットダウンすることが恒常化した結果、ストレスが蓄積し、幸せから遠のいてしまっているのが現代人なのかもしれない、と語る田中さん。

伊藤「内なるチャイルドとの対話を始めて、泣けるようになるクライアントさんは多いです。泣けないというのは、欲求を押し殺し、感情を切ってしまっている証拠ですから」

長年感情を切って生きてきた人は、セラピーの効果が出るにも時間がかかるというが、やることによって確実に幸福になる、と伊藤さんは断言する。映画『ロケットマン』で音楽家のエルトン・ジョンが、つらい気持ちを誤魔化そうと酒やドラッグや買い物への依存症を深めるが、自助グループに通う中で自らのチャイルドと出会うことで満たされ、依存せずにいられる人生を選択できるようになったように。

伊藤「依存症というのは、あまりにつらい心の傷と向き合うことができず、そこから目を背けるために何かに依存して、なんとか生き延びている状況のことです。生き延びるための手段なので一概に悪いとは言えませんが、その方法に頼っていると、いつまでもウェルビーイングに近づくことはできません」

自分でできるストレスケアのコツ

嫌なものは嫌だと認識し、頭ではなく、心や感覚に従って自分が心地よいと感じるものを見つけていく。それは何も特別なことではない。日常生活の中で実践ができる。

伊藤「たとえば食事にしても、私たちはたいして味わうことなくものを食べていることが多いと思うんです。仕事で忙しくしていると、栄養を口から入れるだけのようになっている。そうではなくて、口に運ぶ一口一口を丁寧に意識してみる。匂いを嗅ぎ、味を噛み締めて、喉越しを楽しむ。普段やっていることに意識を向けるようにするのです」

自分にとって心地よいものを見つけるのと同時に、日常的に訪れるストレスにその都度対処するための行動(コーピング)をストックすることも重要だ。ストレスを感じたときに何をすれば自分を助けられるのか、自分に合うコーピングはどうすれば見つけられるのか、田中さんが疑問を口にした。

伊藤「コーピングの相性は、基本的にはやってみないとわかりません。つらいときに楽しい映画を観る人もいれば、泣ける映画を観る人もいますよね。その人のタイプと状況にもよる。とりあえずやってみて、つらさがやわらげば合っているということだし、違う感じならまた別のコーピングを探そう、と気楽に考えるようにしましょう。

そのとき注目するといいのが、『感情』です。それをしたことでほっとしたとか、気持ちの整理がついたとか、スッキリしたのなら、それはあなたに合ったコーピングです。指標は、心と身体が楽になるかどうか。頭で判断せず、感情に従うのです。頭の判断は間違うか、よりストレスになるかいずれかですから、頭で判断しないよう気をつけてください」

毎日少しずつケアして習慣に

田中「心で自分が何を心地よいと感じるかを探し、頭でストレスの存在を認識する。心を先頭にすることが大事なのですね」

ストレスレーダーとしての内なるチャイルドの声に耳をすましながら心の動きを認識し、コーピングでセルフケアする。このストレスケアの好循環を習得するにはしかし、時間がかかる。日々意識してやっていくしかないのだろうか。

伊藤「日々少しずつ取り組むことで習慣化されていきますが、やはり2年くらいはかかりますね。習慣化するまでには、スマートフォンにリマインダーを入れるなど、自分なりの工夫が必要です。たとえば私は、呼吸のワークを待ち時間にやると決めています。レジ待ちや信号待ち、トイレの順番待ちなどの待ち時間って、ちょっとしたストレスですよね。レジで前の人がもたもたしていると気になってしまう。でも待っている間にあのワークをやろう、と決めておくと、待ち時間がポジティブな時間になりますよ」

田中「朝食をとる習慣がないことに罪悪感を感じていた同僚が、最近一念発起して、毎朝ヨーグルトとシリアルを食べると決めたらストレスが減った、と言っていましたが、これも彼女なりのコーピングなのでしょうね」

今ここで生きている感覚を豊かにするために

最後に、ストレスケアが習慣化し、自ら苦しみに対処できるようになると、何が変わるのかを尋ねた。

伊藤「今、ここに、いられるようになります。呼吸のワークが身につけば、呼吸とともにいられるようになりますし、食べることへの意識が習慣化すれば、日々の食事の味をしっかり感じられるようになる。今ここで生きているという感覚が豊かになるんです」

頭で考える癖から脱し、内なるチャイルドと対話しながら心を動かす。そうして生の豊かさをじっくり味わえるようになったとき、私たちは自然とウェルビーイングになっているのだろう。

写真:平岩享

構成:高松夕佳

プロフィール
Well-being Matrix
Well-being Matrix編集部
人生100年時代の"しあわせのヒント"を発信する編集部。