2023.06.19

BiPSEEが開発する、VRを活用し患者の心理に働きかけるVRデジタル療法とは?

「VR」でウェルビーイング
精神疾患向けの「VRデジタル療法」を開発している株式会社BiPSEE。同社は、ウェルビーイングにも深く関わるメンタルヘルスの分野に、VR(仮想現実:Virtual Reality)を用いた新たな治療手法の導入を目指しています。このあまり聞き馴染みのない、デジタル療法という分野について、代表取締役CEOで心療内科医の松村雅代さんから教えてもらいました。

要約すると

  • BiPSEEは 「医療×VR」で社会課題に取り組むメディカルベンチャー。

  • 抗うつ薬の処方や認知行動療法が効きにくい、心の不調がある。

  • VR空間でのアクティブ・ラーニングを通して自分の考え方に向き合うことがうつ病に効果的。

松村雅代(株式会社BiPSEE 代表取締役CEO) 筑波大を卒業しリクルートに入社。その後、米ケース・ウエスタン・リザーブ大大学院に留学。2006年に岡山大医学部を卒業し心療内科医に。2017年7月BiPSEEを設立し代表取締役CEOに。2019年より、m3.com(医師の9割以上が登録する医療従事者専用サイト)にてコラム「松村雅代の『VRは医療をどう変える?』」を連載。 

デジタル療法を取り入れる意義 

「まずデジタルヘルスというものがあり、スマートフォンに入っているアプリなどのあらゆるヘルスに関係するデジタルサービスが含まれます。そのなかでもAIによる診断のような医療に関係するものがデジタルメディシン(digital medicine)、つまりデジタル医療という領域になります。さらにそのなかで治療に関係するものをデジタル療法と呼び、私たちが開発しているVRデジタル療法はここに分類されます」 

たとえば、iPhoneに入っている「ヘルスケア」というアプリも、デジタルヘルスという大きな枠組みのなかの1つなのですが、日本では珍しいVRデジタル療法の開発を進めるのには、松村さんが対応してきた患者へのある思いがありました。 

「これまでの臨床のなかで解決できない課題があると感じていたことが起業の背景にあります。私は心療内科医としてうつ病などの患者さんを対応しており、2014年からは大人の発達障害の外来も担当してきました。発達障害特性があり、生きづらさを感じている方が来院します。そのとき、うつ状態になった方へ抗うつ薬を処方するような、通常の治療が役立たないこともあったんです。ある程度まで気分を改善することはできますが、考え方や物事の捉え方を改善しない限りは、同じことを繰り返してしまう。そこを解決できないことに申し訳なさを感じていたんです」 

薬以外での治療には認知行動療法というものがあります。まさに考え方や物事の捉え方を改善するための治療ですが、医師との相性や治療の難しさから断念してしまう患者も多いのだそうです。松村さんは治療にあたりながら、認知行動療法でも不十分だと感じていたと言います。  

「認知行動療法で自分の考え方を変えるには、物事を構造的に考えることが必要です。そういった考え方がもとから好きな方にはフィットしやすいですが、難しい方もいますよね。さらに何回も治療に通ったり、宿題が出たり。少し元気が出てきたから認知行動療法に挑戦してみたという人でも、実際に取り組むと負担になってしまうことがあります。だからもっと治療方法のバリエーションがあったほうがいいとは考えていました」  

VRを使うことで、自分のいる空間をドローンの映像のように上から見るなど、簡単に三人称視点へ移行できるようになります。空間に圧迫感を感じてしまう患者に活用すると、患者は広い部屋で何からも圧迫されていない自分を、自分のいる空間ごと見ることが可能に。頭の中で想像したり、本人の目線で認識したりするより簡単に、認識を正すことができそうです。 

VRデジタル療法開発のトライ&エラー 

BiPSEEをはじめ、ジョリーグッド社がうつ病治療に活用できるVRプログラムを開発するほか、医学生のトレーニングや対人関係を円滑にするためのソーシャルスキルトレーニング、mediVRが医療機器としての薬事承認を取った、脳梗塞で体が麻痺してしまった患者のリハビリをゲームのようにして補助するVRの活用など、日本の医療においてもVRは浸透しつつあります。 

しかしアメリカなどと比較すると、日本で薬事承認を得るには時間がかかることも事実です。アメリカには、開発する企業単位の審査に基づいて事前認証(pre-certification)を付与し、事前認証を得た企業は比較的簡易な審査で市販可能という制度があります。ドイツには、Fast Track 制度という、申請から3か月以内にデジタル療法が承認される制度があります。こうした制度により、日本に比べるとVRの試用や薬事承認も早く進むそうです。そういった違いへの対応に加えて、松村さんは日本人がVRをどう受けとめるかという点にも着目して開発を進めているそうです。 

「たとえばアメリカのアバターは上半身だけのものや、企業向けのものには頭と手だけのものなど、全身を使わないアバターがあります。それをそのまま日本に持ち込むと、怖いという印象を受ける方が多いんです。そういう部分は日本オリジナルの形を作っていくことも必要だと思います」 

医師との信頼をVRで補強する 

さらに、VRを活用することでこれまでにあった問題を解決したいという松村さんの思いは、BiPSEEの社名の由来「Bio-Psycho-Social-Eco-Ethical Model」にも込められています。Bioは体の治療、Psychoは心の治療という基本的な部分。Social は社会的な役割で、たとえば災害が起きたときに母の立場で子どもと一緒にいると強くなれる人も、災害時に一緒にいるのが自分の親だった場合には母の立場のときと同じ強さは出てこない。またEcoは、春と真夏では熱を出したときのつらさが変わるような環境要因のこと。治療には社会的役割や環境要因を理解する必要があるということを表しています。 

「最後の『Ethical Model』は主に医師との信頼関係になります。信頼できる医師に言われたことなら素直に受け入れることができますが、信頼できない医師に言われると、たとえそれが有効なアドバイスだとしても心に響きません。そうすると患者さんの力になれないという問題があります」 

骨折した場合にはレントゲンでどのように怪我をしているかを見ることができますが、精神疾患は目に見えません。だからこそ、より医師との信頼関係が重要ということなのです。また、スマートフォンやタブレットの平面での映像を使うだけではなく、VRを活用することによっても安心感を得ることができるそうです。  

「うつ状態の方はネガティブなことが起きたとき、その出来事を何度も反すうし、眠れなくなってしまうパターンが多くあります。それを睡眠導入剤で眠れるようにするのではなく、VRを使ったアテンション・トレーニングで物事の捉え方を変えていく練習をするのです。人は安全な空間じゃないとトライ&エラーはできないと思います。VR空間でなら突然苦手な人が現れるような不測の事態は起こらないですよね。さらに視点を変えて客観視しやすくすることで、そこに自分がいるという実感を持ちながら本質的な体験できる、安全なトレーニング空間が作れるといえます」 

体験でわかったVR空間の「没入感」と「安心感」

今回は実際にVRゴーグルをつけて、VR空間で海の中を進んでいくプログラムと、森の中で1日が流れていくプログラムを体験させてもらいました。手にはコントロラーを持っているため、手首から先が見えるようになっています。動物や自分以外の人が現れることはない、安心した状態でVR空間に没入し、短い時間でもリラックスできました。  

「こういった簡単なプログラムは、うつ病の治療を受けていない人でもストレス解消のために取り入れられるといいかもしれません。治療で使う場合には広い空間を用意して、VRゴーグルをしたまま歩きまわるプログラムもあります」 

VRゴーグルさえあれば、ストレスを感じたときに安全な逃げ場でリフレッシュが可能になります。このようなプログラムも治療としてできるようになれば、カウンセリングを含む治療のハードルが下がり、今より多くの人のウェルビーイングにつながるかもしれません。 

「怪我や病気であれば手術がメインにあり、患者さんの回復する力を引き出すようにリハビリなどのケアをしますよね。一方メンタル面では、患者さんの力をどれだけ引き出せるかによって効果がより大きく変わるんです。そのためにも薬を飲んで回復を待つだけではなく、VR空間でのアクティブ・ラーニングを通して自分の考え方に向き合うスキルを身につけてもらうことが重要だと考えています。 

そのスキルが日常で使えるようになれば自分が癒えることにもなりますし、自己肯定感も上がる。自分に対して意味のあることができたという実感を持ちながら回復してもらうことを目指して、VRデジタル療法を開発しています」 

写真:平岩享 

構成:石塚小春

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Well-being Matrix編集部
人生100年時代の"しあわせのヒント"を発信する編集部。