2023.07.10

作家・角田光代と考える、気持ちよく生きるヒント(前編)

ウェルビーイングトーク しあわせの、これから。Vol.12
「ウェルビーイング」をめぐってさまざまなキーパーソンと東京・下北沢の本屋B&Bで考えるトークシリーズ。

2023年2月1日(水)の夜に開催された第3回のゲストは、作家の角田光代氏です。日常生活を自然体で楽しむ達人で、暮らしにまつわるエッセイ作品も多い角田氏に、博報堂・新しい大人文化研究所所長の安並まりや氏とHakuhodo DY Matrixのマーケティングプラニングディレクター、田中卓氏が、日々の暮らしを健やかで心地よいものにするヒントを聞きました。

角田光代(作家) 1967年神奈川県生れ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著書に、2005年『対岸の彼女』(文藝春秋)で直木三十五賞、『紙の月』(角川春樹事務所・柴田錬三郎賞)、『私のなかの彼女』(新潮社・河合隼雄物語賞)、『平凡』『笹の舟で海をわたる』(共に新潮社)『坂の途中の家』(朝日新聞出版)など多数。 

田中卓(Hakuhodo DY Matrix マーケティング プラニング ディレクター) 幅広い業種のマーケティング&ブランディング業務に従事。博報堂九州支社に赴任中の2016年に「Qラボ」を立ち上げ、九州を活性化するアクションを実施。2021年から、Hakuhodo DY MATRIXに在籍。「100年生活のWell-being≒満たされた暮らし」のモデルをつくることを目指し、業務に取り組む。共著に『マーケティングリサーチ』(すばる舎)がある。 

安並まりや(新しい大人文化研究所 所長) 2004年博報堂入社。ストラテジックプラナーとしてトイレタリー、食品、自動車、住宅、人材サービス等様々なマーケティング・コミュニケーション業務に携わる。2015年より「新しい大人文化研究所」の研究員として、シニアをターゲットとしたプラニングや消費行動の研究にも従事。共著に『イケてる大人 イケてない大人―シニア市場から「新大人市場」へ―』(光文社新書)。 

健やかな暮らしは自分に合ったリズムを知ることから 

田中 角田さんは日々の暮らしの1つひとつに目配りをし、プロセスをも楽しみながら工夫されているように感じます。気持ちよく暮らすために、日頃から気をつけていらっしゃることはありますか?   

角田 私は今から25年前、30歳のときに、仕事は平日の9時〜5時のみ、土日はしないと決め、以来ずっと守っているんです。25年の間には殺人的に忙しい時期など、いろいろなことがありましたが、そんな中でも私が発狂せずにある意味健やかに生きてこられたのは、夕方5時には仕事を終えて、酒を飲むということを厳守してきたからではないかと思います。 

自宅とは別に仕事場を持ち、毎日通勤するようにしたのも、30代でした。私は書類などを重ねると下にあったものを忘れてしまうので、全部出しておかないと仕事が滞るのですが、出しておくと部屋が散らかって開かずの間のようになってしまう。それが嫌で、仕事場を借りて通うようにしました。 

朝9時に仕事場に行って仕事をし、夕方5時には終えて自宅に帰ってくる。そのリズムが自分に合っているなと気づいたのが、30代後半。5時に仕事を終えることがこんなにも自分を救うのか、と実感したのは、それよりも後でしたね。 

安並 9時〜5時にしようと思った明確なきっかけはあったのですか。  

角田 30歳のとき付き合っていた方が、会社勤めだったんです。会社員は、平日は朝会社に行って夜に帰ってくる。私もそのリズムに合わせなければ彼と一緒に食事や外出ができないと思い、健気にも合わせるようにしたのでした。1年後に振られてしまったのですが、生活習慣のほうは体質に合ったこともあって別れた後も残り、四半世紀も続けてこられた。 

当時は午前中から仕事をしている物書きは少なかったので、同業者から文句を言われることもありましたよ。「編集者から『角田さんは9時から机に向かっているらしいですよ』と言われて、午後から仕事を始める自分が責められている気がして嫌だ。あまり言って回らないでください」って(笑)。私は午前から仕事するのが体質に合って本当に良かったと思いますが、合わない人ももちろんいると思います。合う/合わないは、人それぞれですから。 

芸術家肌の作家になりかったけれど 

田中 9時~5時に決める前は、どんな生活スタイルだったのですか?  

角田 若い頃の私は、気分が乗ったときに「よし、書くぞ!」と机に向かい、書き始めたら筆が止まらなくなり、徹夜で朝10時くらいまで書き続け、息絶えるようにパタリと眠る……そんな物書き像に憧れていました。そういうのがかっこいい、物書きはそうじゃなきゃいけないんじゃないか、と思い込んでいて、仕事時間は決めずに、意味もなく徹夜したりしていた。 

それをあるときから9時〜5時に固定したら、仕事が500倍ぐらいできるようになったんですよ。5時に終えると決めたことで、それまで悩んでいるふりに使っていた時間を仕事につぎ込み、一生懸命取り組み始めたから、数をこなせるようになったのだと思います。 

安並 若い頃って、憧れる型に自らをはめようとしがちですよね。でも年を経るごとに、自分が本当に心地いいやり方を探すようになる。  

角田 芸術家肌でいたかったんです。芸術家肌の作家といえば、何かが降りてくるまではじっとしていて、降りてきた瞬間から猛烈に白目を剥きながら書く、というイメージでした。実際にそういう作家はいますし、私もそうありたかったのですが、悲しいかな、私は芸術家肌でもなんでもなかった。スケジュールを組んでコツコツやるタイプで、朝9時に机の前に座らないと何も始まらないことに、やってみて気づいたのです。 

小説に煮詰まったら、エッセイを書き、それでもダメなら…… 

田中 でも座っても書けないこともありますよね。そういうときはどうされていますか。 

角田 その時々で具体的な対処法は違うのですが、基本的にはいったん原稿から離れます。仕事場の隣にスポーツクラブがあったときは、書くことに煮詰まると、スポーツクラブに行っていました。マシンで走っていると、ふと「あ、こうすればいいんじゃないかな」と風穴が開く瞬間がある。そうしたら仕事場に戻って続きをやる。 

締め切りをいくつも同時に抱えて忙しかったときは、Aの小説に煮詰まったら、ひとまずそこを離れてエッセイBを書き、書き終えたらAに戻る。Aがまだ先に進めない場合にはCの小説に移る……と、できるものから進めていくうちに風穴が開くこともありましたね。インターネットが生活全般に入り込んできてからは、対処法に「猫の動画を見る」が加わりました(笑)。「見すぎちゃったな」と反省して仕事に戻る、ということもあります。 

田中 猫の動画は見すぎちゃいますよね。  

角田 一番逃避度が高いかな。スポーツクラブで走るとか、小説AからエッセイBに移って原稿をどんどん終わらせていく、というのはある意味生産的だし、何かをやっている感がある。でも、猫の動画は怠惰味があるというか、サボっている感が強いですよね。 

田中 それらの対処法は、どうやって思いつかれるのですか?   

角田 「こうすればいい」という確信があるわけではありません。煮詰まったときの私は、とにかく必死なんです。じっと座って猫の動画を見ていても、頭の中は「どうしよう、どうしよう、どうしよう」とぐちゃぐちゃになっている。 

「どうしよう」の対処法は自分ではわからないのです。仕事場の隣にスポーツクラブがあれば行くし、スポーツクラブはないけど輸入スーパーならある、という場合には、死に物狂いでスーパーにたどり着いて棚の文字を隅から隅まで読む、みたいなことをしたり(笑)。今の仕事場は本当に何もないところにあるので、猫の動画になっちゃうんですよね。1つのことを考え続けているとつらくなる。机の前から動くと、少し忘れられるのだと思います。 

角田式・回避的ウェルビーイング

安並 自分を追い詰めすぎると悪循環になり、何も生まれない。体を動かすとか、関係のない文字を読むなどして頭をリラックスさせながら、風穴が開くのを待つのですね。仕事以外で、日頃気持ちよく暮らすために工夫されていることはありますか? 

角田 嫌なこと、できないことを極力、暮らしから排除していくことでしょうか。 

自分が何が嫌いで何ができないのかは、年齢を重ねるにつれてわかってきますよね。私はアイロンがけがすごく嫌いなのですが、そんなに嫌ならアイロンはかけなくてもいい、と思うことにしました(笑)。  

安並 心地よくするために何かをするというよりは、嫌なことを回避する、「回避的ウェルビーイング」ですね。そちらのほうが精神衛生にはよさそうです。 

角田 私は後ろ向きな人間なので、「こうすれば自分が楽しくなる」よりも、「こうしないほうが楽になる」を考えることのほうが多いんです。でもそのためには超えなくてはいけないハードルがあって。それは、「アイロンはかけなきゃいけないもの」や「出かける前は服についた猫の毛をきれいに取るもの」といった社会常識とされている慣習は、「実はしなくてもいい」と気づくことです。それがまず大変なんですよね。 

田中 やらなくてもいいこと/やるべきことはどんな基準で分けているのですか。 

角田 「物理的にできない」とか「苦しい」といった気分ですね。やればできるけれど非常に重苦しい、非常に時間がかかる。そういうことが基準になっていると思います。 

猫の毛に関しては、忘れちゃうんです。着ている服が飼い猫の毛だらけなのが「私の標準仕様」なので、つい忘れてそのまま出かけてしまう。出先で「毛だらけだけど、どうしたの?」と声をかけられて、「はっ」と気づく。それがあまりに続いたので、「私は、出かける前に服にコロコロをかけることができない人間なのだ」と諦めて、今ではパンパンっと払うだけで出かけています(笑)。 

安並 「猫の毛はとらなければいけない」という社会通念が、苦しくさせているのでしょうか。  

角田 しなきゃいけないというよりは、私自身がすごく恥ずかしいんです。指摘されて自分の服を見ると、「これはつけすぎだろう!」というくらい毛がたくさんついていてギョッとすることがある。でも、その「恥ずかしい思いをしたくない」という気持ちを超える瞬間がいつか来るんですよね。 

化粧もあるときから、しなくてよしとしました。どうしても化粧の時間を身支度の時間に入れられない自分に気づいたからです。家を出るべき時間の5分前に「あ、化粧忘れた」と気づき、5分で泣きながら化粧をすることが続いて、もういいや、と。でも、化粧をしないのは会う相手に失礼だという社会通念も確かにあって、それを指摘されたこともありますね。  

安並 でもだから何? ってことですよね。人がどう思おうと、責められることではない。無理してできる気で居続けるより、できない自分に気づいて認めると、気持ちがだいぶ軽くなりそうです。 

化粧はできなくてもマラソンは走れる! 歳をとるから気づける自分基準

田中 自分の標準仕様を世の中基準から自分基準へと変えていくという作業は、実際にはなかなか難しそうです。いつ頃からどんなきっかけで変えられるようになりましたか?  

角田 これには年齢が関係していると思います。「これやらなくていいや」と本当の意味で気づけるのは、40代後半ではないでしょうか。 

例えば私には渋谷や六本木など、精神が疲弊する感じがして苦手な街が都内にいくつかあるのですが、20代はそういう街にも「行かなきゃいけない」と思っていました。30代に「あれ? 行かなくてもいいかもしれない」となり、40代ではっきり「私の中に渋谷という街はいらない」となりました。よっぽど観たいライブやお芝居があれば行きますが、そういう場合も、今はもう苦手な通りを避けてたどり着くことができます。30代ではまだ「これは私が苦手なだけで、克服しなきゃ」と思っていたけれど、40代になると自分に向かないことがはっきりしてくるし、体力や集中力が衰えるので無理が効かなくなるんですよね。だから年齢を重ねるほどに、やめたいことをやめるのは楽になると思います。  

田中 若いときの「できるようになりたい」という気持ちを諦めたり、捨てたりできるようになるという感じでしょうか。 

角田 そうとも限りません。人間は、本当にやりたいこと、できるようになりたいことは、無理でもやるんですよ。私は走るのが嫌いなのですが、30代の終わりにマラソンを始めてしまって。本当につらいし、体力が落ちているので、かつてほど速くは走れないこともわかっている。でもこれはやめたくないんです。先日、16回目のマラソンを完走しました。化粧はできないけれど、フルマラソンは走れるんです、私! 人はやりたいことならどんなに大変でも頑張るものなのだと思います。 

写真:平岩享  構成:高松夕佳 

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Well-being Matrix
Well-being Matrix編集部
人生100年時代の"しあわせのヒント"を発信する編集部。