美学者・伊藤亜紗さんと、高齢者福祉施設「宅老所よりあい」を運営する村瀨孝生さんによる往復書簡集。
老いや衰えはケアをする人たちにも、思いがけないウェルビーイングをもたらす。
村瀨さんによると、老いとは「体にある内なる自然に沿わざるをえない」こと。しかしそれは決してネガティブなことではなく、自然に自らを受け取ってもらうことであり、「もう無理はしなくてよい」と開放された気持ちにさえなる、心地よいものなのだと言います。もちろん、そのように「体を手放す」までにはかなりの葛藤があるわけですが、「体をあげた」というところまで至れば、もはや怖いものはありません。
その究極とも言える例が、伊藤さんが本書で紹介した、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の母親を介護していた川口さんの体験です。
筋肉が徐々に動かなくなるALSが進行した川口さんの母親は、最後にはまぶたを閉じたままとなり、いっさいの意思疎通ができなくなります。意識ははっきりしているのに、誰とも意思疎通ができない。しかしこの一見絶望的に思える状況になった彼女の脳波はしかし、深いリラックス状態にあったそうです。それを知った川口さんは、「母は完成された」と思い、「天国と地上の真ん中らへん」にいる母親のことを尊重しようと決意しました。読んでいると、究極のウェルビーイングとは、体を完全に手放し、自身が天国と地上の間に到達したとき訪れるのではないかとさえ思えてくるエピソードです。
また、「ぼけ」には裏切りと解毒の両方の力がある、と伊藤さんは言います。
ぼけが深くなった親が欲望を剥き出しにしてきたり、子どもである自分のことがわからなくなったりするのは、とても苦しい(裏切り)ことには違いありません。でも同時に、そうした親に向き合うことには、それまで子どもとして常に親から与えられ続けてきた「債権債務の関係から解き放たれる」作用(解毒)もあるというのです。それほどに「衰え」は、自らの内だけでなく、ケアをする周囲の人たちにも、思いがけないウェルビーイングをもたらす実に奥深いものだと気づかされます。
本書を通して2人の生き生きとした手紙のやりとりを読むうちに、老いとは「できない」が増えていくことではなく、むしろ新たな可能性と豊かさを獲得していくことではないかと思えて、勇気が湧いてくるはずです。
『ぼけと利他』 伊藤亜紗・村瀨孝生 著、ミシマ社