品田 世の中、「ウェルビーイング」って言葉が来てるんですよ。
みうら 僕のところにはには全く来てませんけど(笑)。それって要するに誰かが「来さそうとしてる」ってことでしょ?
品田 いやいや(笑)。言葉の意味的には「持続可能な幸せ」「いきいきと生きる」くらいにとらえていただければ。それで、特に僕も含めてこれから人生の後半戦を迎える人たちにとって、ウェルビーイングを獲得する解のひとつが、好きなことや趣味を持つこと、今ふうの言い方をするなら「推し」を作ることじゃないかと思うわけです。
みうら その指南役の第1回が僕で大丈夫なんでしょうか(笑)
品田 「自分のやりたいことを貫いて楽しい人生を送り、60歳過ぎても輝いている」というのが、みうらさんの周囲からの見え方だと思うので。みうらさんと言えば仏像と怪獣ですが、怪獣ブームってのが我々の世代にはありましたね。『ウルトラQ』(1966年放映)とか。
みうら ですよね。僕はその『ウルトラQ』が始まる2年前、小1のときに、『三大怪獣 地球最大の決戦』という初めてキングギドラが登場する映画を観て、グッときたんですよ。あれのオープニング映像って覚えてられます?
品田 どんなんでしたっけ?
みうら キングギドラのウロコの部分がどアップで映るんです。そこにキャストの名前が乗っかるという斬新なもので。もう、その出だしからグッときまくりでした。で、その3年後、小4のときに突然自分の中に仏像ブームが来るんですけど、実はそのオープニング映像とつながってて。
品田 キングギドラと仏像が?
みうら それは土門拳の写真を見たことでした。その頃、習字を習いにうちのおじいちゃん家に毎週おじゃましてたんですが、おじいちゃんは古美術好きで、本棚にそれ関連の本がいっぱい並んでたんです。その中の一冊がカメラマンの土門拳さんの仏像の写真集。そこに、教王護国寺(別名:東寺/とうじ)の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)の写真が2P見開きで載ってたんですが、何とその像の甲冑の部分だけのどアップだったんです。絵ハガキによくある全体を撮ったものじゃなく、なんの仏像の部位なのかわかんないくらいの接写でね。それがキングギドラのウロコの見せ方と同じだと思ったんです。それで仏像好きに拍車がかかりましたよ。
品田 それがツボだったんですか。
みうら ええ。こんなふうにグッとくる瞬間が、高校生くらいまでに何度かあったんですよ。ジャンルは違えど。それが今の僕を作ってる全てなんです。上京してからそれが枝分かれしただけで、たぶん高校以降でグッときたものはAVくらいですから(笑)
品田 怪獣はともかく、仏像は当時とくに流行ったりしてませんよね。みうらさんの初期のマイブームだったわけだ。
みうら グッとくるものって基本、時代性のないものなんですよね。それでいうと怪獣ブームは当時たしかにあったんですけど、『ウルトラQ』の後の『ウルトラマン』(1966~67年放映)では全く、ウルトラマンに興味なかったんですよ。だって怪獣が好きなんだから、むしろウルトラマンに退治して貰いたくなかった。何もヒーローが好きなんじゃなくて、あくまで怪獣に特化してきましたから。
品田 時流と関係ないものが好きって、大事なポイントかもしれませんね。
みうら 流行ってることは僕が好きになる必要がないかと。だから仏像もメインじゃなく四天王像に踏まれてる邪鬼のほうに目が行くんです。当時『邪鬼の性』っていう邪鬼ばっかりが載ってる写真集買ってもらったので、この世界にも当然、マニアがいるなと。
品田 もはや仏像は関係ない(笑)。
みうら ですね。僕は違和感がハンパなものが好きだったんですよ(笑)。高校入ってからも、みんなの間で流行ってた音楽じゃなくて、ボブ・ディランにグッときたんです。クラスメイトは誰もレコードなんて買ってませんでしたし、それでどんどん友達の輪から外れていったんですね。(笑)。
品田 トレンドのメインストリームには行かなかったんですね。
みうら やはり団体というものが苦手だったからじゃないでしょうか。団体って多数決で決まるじゃないですか。流行り物って、結局は多数決なんじゃないかと。
品田 ロックの話で言うと、当時はフォークロックブームの頃ですよね。吉田拓郎さんに刺激されて随分たくさん曲を作ったとか。
みうら でも、理由はね、仏像趣味のままじゃ彼女は絶対、出来ないだろうと思ったからです。
品田 でも、当時彼女はいたんですよね?
みうら いるわけないじゃないですか(笑)。思春期が遅くやって来たんです。焦って友だちに彼女を紹介してもらって、そこまでは良かったんですが、流行りのデートスポットなんて知らないわけでね、ついつい僕の得意分野の東寺に連れて行ったんですよ。そしてね、仏像を前に熱い説明をしてたら彼女が「悪いけど、帰っていいかな」って言ってきて。ま、悲しい東寺にひとりで取り残された事件がありまして。
品田 それで拓郎に行ったと(笑)。でも当時は拓郎さん大ブームでしたよね。メインストリームじゃないですか。
みうら 初めは流行に乗れてたんでしょうが、僕は結果、拓郎さんに成りたいと思ってしまって。みんなは拓郎さんの曲をコピーして学園祭に出るんだけど、それは真似に過ぎないと。だって拓郎さんは自分の曲を歌ってらっしゃるわけだから。だったら僕も、オリジナルの曲を作んないといけないと。
品田 それで400曲(笑)。
みうら そうです。高校卒業までにそれくらい作りました。友達から「プロでもないのに変だよ」って言われましたけどね。一旦火が付いたのもの僕にも消せなくて(笑)。ハーモニカホルダーをぶらさげたまま近所を歩いたりもしてました。
品田 完全に奇行ですね。自覚はありました?
みうら うーん、逆に自分は凡人で、つまんないやつだってことに気がついていたんです。だから自分らしくじゃなく、全く「別人」になりたかった。僕にとって憧れるっていうのは、その人や、そのものに「なる」ことだから。だから怪獣にもなりたかったし円谷英二さん(特撮監督)にもなりたかった。小学生の時は公園で皆がソフビの怪獣人形で遊んでると、僕はジャングルジムの上に登ってそれに指示を与える役をしてましたから。
品田 監督目線なんですね。
みうら いや、なってるつもりプレイです。(笑)。そういうふうに「なりたい」と思った人や、グッときた事柄が自分のなかでぐしゃぐしゃになって、今の俺があるんです。今の僕を形成してるんだと思うんです。
品田 みうらさんの造語でたぶん一番有名なのが、「マイブーム」ですね。
みうら かつて岡本太郎さんがウイスキーのCMで「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」って言ってましたけど、それを初めて聞いたとき「誰も無い方がいいって言ってないのに」と思って、おかしなことを言う人だなと(笑)
品田 たしかに(笑)。
たぶんマイブームのそもそもの概念はそれです。誰も聞いちゃいないのに、マイブームがあってもいいじゃないかとね(笑)。
品田 お話を聞いていると、みうらさんの好きなものとかか趣味って、つくづく「何かの役に立つ」とか「効率」からは一番遠いところにありますね。
みうら それには自信がありますよ(笑)僕は無駄・イズ・ベストですから。。効率が悪いことが本当の趣味ですからね。先ほど品田さんがおしゃられた「推し」って言葉にも、広めて効率的に儲けようという「仕事」の匂いがしますよ(笑)。
品田 あはは(笑)。
みうら 僕の場合「あいつ、無駄だな」って思われてナンボですから。
品田 と言いますと。
みうら 人付き合いがそうじゃないですか。歳を取ってくると、人付き合いがだんだん邪魔くさくなってくる。そうして人間って無駄なことをそぎ落とすんです。いちばん無駄なストレスをためるのが人付き合いだから。でも、そこがいいんじゃないって常に思って生きていきたいんですよね。
品田 本当に。コロナ禍になって仕事の理由がないと人と会えなくなった途端、半年くらいで気分が落ち込んじゃいましたもんね。
みうら それには無駄をいっぱい重ねないとですね。
品田 大酒飲んで具合悪くなったって「いいじゃないか」(笑)。
みうら そうそう(笑)。ようやく僕が起用された理由が分かってきましたよ。どうでもいいと思うようなことを今だにやっている大人げない大人の、いや老人の代表ってことだったんですね。そんなやつが意外と希少価値を持ってきたんじゃないかと。理解致しました(笑)。
「好き」に没頭するためには、時代性や多数決を気にしてはいけない。効率主義や合理主義、コスパやタイパ(タイムパフォーマンス/時間対効果)といった今の時流と、いかに関係ないものに目を向けるかが大事。みうらさんは、そう主張します。
マイブームとはつまるところ、「今のところ世の中には存在しない概念だけど、そういうものがあってもいいじゃないか」という、自由な開き直り精神の実践です。世間のブームや、ましてや他人のマイブームなんて気にする必要はない。そんな考えのベースにあるのは、みうらさんが最初に言っていた「比較三原則」でした。
また、誰かに憧れることが「その人になりたい」に直結しているみうらさんの姿勢からは、我々を楽にしてくれる大きなヒントが見いだせます。よく、「自分の持ち味や強みは何だろう?」と悩み、自分探しをはじめる人がいますが、みうらさんは若い頃からそこにこだわりませんでした。「自分には才能がないから、自分と違う人になりたいと思った」。つまり、本来の自分がどうかなんてどうだっていい、自分なんてなくてもぜんぜん構わない。ある種、仏教的な悟りの境地です。
ただ、気になる発言もありました。「グッとくる瞬間は高校までに(AV以外)全部来ていた」。ということは、成熟世代が今から好きなものや趣味を見つけるのは、もう手遅れなのでしょうか? 後編では、そのあたりをじっくり聞いていきます。
みうらじゅん 1958年京都市生まれ。武蔵野美術 大学在学中に漫画家デビュー。以 来、イラストレーター、エッセイ スト、ミュージシャンなどとして幅広く活動。 1997年、造語「マイ ブーム」が新語・流行語大賞受賞語に。「ゆるキャラ」の命名者でもある。2005年、日本映画批評家大賞功労賞受賞。2018年、仏教伝 道文化賞沼田奨励賞受賞。著書に 『アイデン&ティティ』、『マイ 仏教』、『見仏記』シリーズ(いとうせいこうとの共著)、『「ない仕事」の作り方』(2021年本屋大賞「超発掘本!」に選出)、『永いおあずけ』『マイ修行映画』『ハリネズミのジレンマ』など。音楽、映像作品も多数ある。
品田 英雄 放送局を経て日経BP入社。エンタテインメント分野の記者を経験した後、1997年雑誌「日経エンタテインメント!」の創刊編集長に就任。発行人等を経て、総合研究所研究員に。流行、消費行動を担当する。書著に「ヒットを読む」(日経文庫)、日経MJで「ヒットの現象学」を連載中。テレビ・ラジオはコメンテイターも務める。
稲田豊史 ライタ・コラムニスト・編集者 │ 著書『映画を早送りで観る人たち』『オトメゴコロスタディーズ』『「こち亀」社会論』『ぼくたちの離婚』『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』『セーラームーン世代の社会論』