メタバースとは「meta(向こう側)」と「verse(宇宙)」を組み合わせた造語。
アクセシビリティ、多様性、公平性、ヒューマニティの面において、メタバースのソーシャルグッドな(社会に良いインパクトを与える)可能性がある。
香港中文大学では仮想キャンパスの実証実験も進む。
近年なにかと耳にするようになった「メタバース」。仮想空間やゲームみたいな話でしょう、と大枠で認識している人も多いかもしれません。しかし、もしこの新しい概念が、実は私たちの幸福と深く関わる多様性や公平性にポジティブな影響を与える可能性を秘めているとしたらどうでしょうか。
2021年、社名を「Meta」に変え、メタバース分野に約100億ドル投資する発表をして大きなニュースになったフェイスブック社を筆頭に、現在メタバース・ベンチャーに参入を準備している巨大企業は少なくありません。エピック・ゲームズやソニー、テンセントは、メタバース構築のために数億ドル規模の投資や資金調達を行なっていると報じられました。
メタバースとは「meta(向こう側)」と「verse(宇宙)」が組み合わさった造語で、「三次元の仮想空間でアバター化したユーザー同士が互いに交流し、アプリケーションとやりとりを交わせる次世代インターネット」のこと。ニール・スティーヴンスンが1992年に発表したSF小説『スノウ・クラッシュ』に語源があり、その後ブロックチェーンをはじめとした近年の技術的進歩によって、実装に向けた開発が活発化しています。
そんななか、香港中文大学の「深圳市人工知能・ロボット社会研究所(AIRS)」に所属するハイヤン・ドゥアンらのチームは、メタバースのソーシャルグッドな(社会に良いインパクトを与える)可能性に注目した論文を発表しました。
この論文はまず、「メタバースは仮想空間で人間中心的なプログラムでありながらも、現実の世界にポジティブな影響を与えている」(Duanら、2021)として、アクセシビリティ、多様性、公平性、ヒューマニティという4つの側面において、メタバースがソーシャルグッドのために使われたアプリケーションの代表例を紹介しています。
新型コロナウィルスの世界的蔓延によって、数多くのイベントが中止を余儀なくされました。しかしこうした状況下でも、メタバースが地理的な距離を超えたアクセスを可能にしました。たとえば2020年、カリフォルニア大学バークレー校は物理的に大勢の学生が集まる危険を鑑みて、卒業式をゲーム『マインクラフト』上で開催しています。
仮想空間でイベントを開催する利点としては、「より低コストでより高い安全性である」ことが挙げられます(Duanら、2021)。それに加えて、移動を減らせばCO2削減にもつながり、身体的な障害をもつ人たちがアクセスする際のハードルが下がることも期待できます。
現実世界では、地理や言語などの条件によって、多様な人たちのニーズを一挙に満たすことは困難を伴います。しかし、無限に広がるメタバースではそのアクセス性の良さゆえに、多様性を担保することができる、と論文は主張します。2020年のアメリカ大統領選において、ゲーム『あつまれ どうぶつの森』内で選挙キャンペーンが行われたのはその一例と言えます。
公平であることを達成するには、人種・ジェンダー・体の不自由・経済格差など様々なファクターを考慮することが不可欠です。メタバースの世界では誰もが自由に見た目をカスタマイズし、各々の力を発揮することによって「サステナブルで公平な社会づくりに貢献することが可能」となるのです(Duanら、2021)。たとえば、VRプラットフォーム「ディセントラランド」は自律分散型組織で各ユーザーが、どんな着用アイテムが許されるかといった様々なポリシーを、各ユーザーが提案したり投票したりして、自分たちの仮想世界の運用方法を決めることができるそうです。
また、メタバースは「文化的なコミュニ ケーションや(人類の遺産や文化財の)保護のための優れたアプローチとなり得る」(Duanら、2021)という指摘もなされています。世界中に点在する文化財は往々にして脆く、常に人為的なダメージや自然災害による破損の危機に晒されています。2019年にはパリのノートルダム寺院の大部分が焼け落ちてしまいました。ところが、そのデジタル3Dモデルは、ゲーム『アサシン クリード ユニティ』内で(全てではないにしろ)再構築されており、プレイヤーはゲーム内で寺院を見学することができるのです。
論文の後半では、ドゥアンらが所属するAIRSが制作しているメタバース駆動型の大学キャンパスも紹介されます。それが、香港中文大学(CUHK)と深圳(SZ)それぞれの頭文字から名付けられた「CUHKSZメタバース」です。
キャンパス内の学生に相互的に参加できる仮想空間を提供することを目的に作られたこの仮想キャンパスは、「現実での学生の行動が仮想世界に影響を与えると同時に、その逆も起こる混合空間」(Duanら、2021)。学生たちは自ら学生組合を立ち上げ、仮想の委員会メンバーを選出することが奨励されており、ユーザーから提起されたキャンパス内の問題を能率的に解決していきます。
またCUHKSZメタバースは、学生たちの社会的な幸福を最大化するために、スマホを利用した位置情報に基づくインセンティブ設計がなされていると言います。もしも実際のキャンパス内にある図書館に入ると、メタバースのチャンネルを通じて近くの学生とチャットができ、普段よりも高速でトークン(仮想通貨)が獲得できるとしたら、どうでしょう。そのようなメリットがあれば、「学生たちは寮にこもらず、図書館で勉強するようになるかもしれない」とドゥアンらは考察しています。
とはいえ、メタバースの研究はまだ始まったばかり。産業界がすでに「熱狂的な投資」を行なっている一方で、いまだに「アカデミアではメタバースの発展を科学的に導く議論はほとんどないのが現状である」(Duanら、2021)のも事実です。今後ソーシャルグッドなメタバースを実現するには、アカデミックなアプローチからの研究・調査が必要不可欠になるでしょう。
引用論文:Haihan Duan, Jiaye Li, Sizheng Fan, Zhonghao Lin, Xiao Wu, Wei Cai: Metaverse for Social Good: A University Campus Prototype(2021、https://doi.org/10.48550/arXiv.2108.08985)
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