2024.03.11

Vol.02誰にも理解されない僕の趣味と幸せ

呂布カルマの欲と幸せ論
ラッパーの呂布カルマさんが、自身のウェルビーイング論を綴る連載「呂布カルマの欲と幸せ」。第二回のテーマは「趣味と幸せ」です。

今回は趣味の中に見出す幸せの話。 

一口に趣味と言っても色々あって、メジャーで同じ趣味をもつ仲間を見つけやすく、お互いの趣味について語り合い、時に情報交換やアドバイスをしつつ高め合えるようなもの。今ならサウナやキャンプ、筋トレなんかもそうか。そういったものとは逆に、マニアックでニッチな趣味に幸せを見出す人もいる。僕は後者だ。

僕はありがたい事に趣味が仕事に直結しているタイプで、HIP-HOPやグラビアディグ(グラビアアイドル発掘)なんかは趣味だったものが今や仕事となっていて、もはや純然たる趣味とは言いづらい。そういう意味で、今も趣味のままでいるのがペットだ。

ペットというと割とメジャーな感じがするが、僕がもう10年以上熱中しているのは、金魚とイモムシの飼育だ。

金魚は、僕が20代の無職だった頃、近所の祭りの金魚すくいですくってきたすぐ死ぬ金魚を案の定すぐ死なせてしまい、そこから勉強し始めてそれ以来、試行錯誤しながら今に至る。

僕がペット飼育から感じる幸せは、触れ合いではない。当然だが金魚は犬猫のように触れ合ったりお散歩に連れ出し、すれ違う通行人に見せびらかしたりはおろか、意思の疎通さえ難しい。ただひたすらに、こちら側がお世話させていただくのみだ。だがそれが良い。そこに利害関係は無い。こちら側が尽くして尽くして、丸々肥えた金魚が優雅に気分良く水槽の中を漂う姿を鑑賞させてもらうだけなのだ。 

金魚は油断出来ない。元々フナを人間が品種改良、改良とはいえ観賞用に美しく愛嬌あるフォルムにするために生物的にはむしろ弱くなっている。なので泳ぎは下手だし、水質の変化にも敏感で、直接触れ合えない。我々の唯一のコミュニケーションである餌やりもやり過ぎると水質の悪化に繋がり、調子に乗るとすぐ水槽ごと全滅してしまう。因みに金魚は永遠に腹を空かせているかのように餌を欲しがる。しかしその誘惑に負けてはいけない。 

なのでどんなに忙しくてもこまめに水槽の水を交換し、濾過用のポンプを分解、洗浄したりして水質を一定に保つのだ。もう半分水の世話をしているようなものだ。だがその難しさこそが飽きずに続けられる要因かも知れない。 

水槽の中を大小の金魚か沢山縦横無尽に泳ぎ回る様は最高なのだが、その分水質の悪化も早く、何度も水槽ごと全滅の憂き目に遭う事で学び、現在は3匹の少数精鋭となっている。 

今日も無表情で口をパクパクさせながら、水槽内を右に左に無意味に漂う金魚の無事を確認して、僕は幸せを感じる。 

そしてもう一つはイモムシの飼育だ。これまた無職の頃、散歩中に路肩の植え込みで見つけたイモムシをなんとなく連れて帰って育て、一匹の立派な蛾に羽化させた夏をきっかけに毎年の恒例となった。今までに20〜30匹は羽化させて空に還してきた。 

金魚と違ってこっちはとにかく簡単で手っ取り早い。何せ決まった一種類の葉っぱのみを食べ、たった1〜1ヶ月半の間にイモムシからサナギ、サナギから羽化し蝶なり蛾へのその都度猛烈なメタモルフォーゼを遂げ、何の未練を残す事なく軽やかに大空へと飛び去ってしまう。 

今時の言葉でいうと、タイパコスパ最強なのだ。 

やはりこちらも触れ合いという触れ合いはほぼない。せいぜいイモムシを手のひらに這わせ、手のひらの上で葉っぱを機械的に食む姿を眺めるぐらいだ。

だが誰からも理不尽に嫌われ、文字通り地を這う姿のイモムシがたった数十日で、美しい羽を広げ全く別の姿となって僕の手の届かない所へと飛んで行ってしまうのに、僕は毎回強烈な感動を覚えるのだ。 

そしてこの話は誰も理解しない。意味は伝われど、誰に薦めても眉をしかめられてしまう。だから良い。 

こんな事やってるの俺だけだよな……(実際はそんな事は無いのだが)そんな思い上がりに幸せを感じる事も出来るのだ。 

 (編集:ノオト) 

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Well-being Matrix編集部
人生100年時代の"しあわせのヒント"を発信する編集部。