2023.03.17

「変化を機会に変える」ウェルビーイングのフィットネス

ウェルビーイングトーク しあわせの、これから。Vol.4
Hakuhodo DY Matrix(以下マトリクス)は、「100年生活者を見つめ、人生を通してWell-beingであり続けられる理想社会の実現」をめざしています。そして、ウェルビーイングは社会と共創していくものと考えています。こちらのサイトでは、ウェルビーイングに関わるさまざまな分野で活躍をされている有識者の方々に、毎回異なるテーマでインタビューを行い、そこから得られた多様な知見や役立つヒントを発信していきます。

お話をうかがった方

矢野和男さん

株式会社日立製作所 フェロー 株式会社ハピネスプラネット 代表取締役 CEO

1984年早大修士卒。日立製作所入社。1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功し、ナノデバイスの室温動作に道を拓く。 開発した多目的AI「H」は、物流、金融、流通、鉄道など分野に適用され、産業分野へのAI活用を牽引した。 身体運動から幸福感を定量化する技術を開発し、2020年に株式会社ハピネスプラネットを設立。 著書『データの見えざる手』に続き、2021年『予測不能の時代』を上梓。 博士(工学)。IEEE Fellow。東京工業大学大学院特定教授。

「幸せ」とは、楽な状態ではなく、前向きな状態のこと

まず、矢野さんの研究では、幸せをどのように考えているのでしょうか。

矢野和男さん(以下、矢野): 幸せや心と、食事をとり、代謝をしてエネルギーを生み出し、排泄し、睡眠をとるという生理現象とはまったく別物だと思われがちですが、そんなことはありません。 幸せな状態にあるときは、(すべてではありませんが)主に内臓で反応が起きます。そして、血液、血管、ホルモン、腸内細菌など、私たちが意識することなく自律的に起きるバイオケミカルの反応として現れます。 ここ20年ほどでこうした生体反応の科学的な研究が進み、「幸せな状態」と「前向きな状態」は一緒である、ということが明らかになっています。これは、「腹が座る」とか「胸がときめく」とか、感情や幸せに関連する言葉に内臓を使った普遍的な表現があることから、経験的にも納得できます。 誤解されやすいのですが、「幸せな状態」は、決して「楽でゆるい状態」ではないのです。繰り返しになりますが、「幸せな状態」とは「前向きな状態」なのです。

予測不能の時代、 変化に立ち向かう「幸せな人」が、より強く求められていく

矢野さんは「幸せ」を最上位の目的として研究されています。 「幸せ」は、今後どのように日本社会に浸透していくでしょうか。

矢野: 20世紀は日本が成功した時代でした。「仕組み」によって仕事を回すというやり方が、非常に日本の社会にはまったからです。100年以上前にテイラー(F.W. Taylor)が確立した、科学的管理法やインダストリアルエンジニアリングによって、業務の無駄を省いて標準化して、「仕組み」さえあればそれほど熱意のない人でも仕事が回せたのです。今でも、日本の企業や組織には、「あの人がいないと仕事が回らない」という属人的な状況を作ってはいけない、という意識が相当根強く残っています。 しかし、今、世の中では毎日予測を超えるようなことが起きています。このような中では、過去の実績やうまくいったことに基づいて作られた「仕組み」はむしろ妨げになります。熱意のない人、仕組みで仕事を回す人が、予測不能な変化に立ち向かえるでしょうか?今の時代には、たとえ先が見えなくても、道はあると信じて、うまくいくかどうかわからなくても最初の一歩を踏み出す、一文字を書き始める、変化に立ち向かう「前向き」で「熱意」のある人が必要です。

先ほども話しましたが、最近の研究で、「幸せな人」は「前向き」であること、さらに「熱意」があり生産性が高い、ということが明らかになっています。「幸せ」な人は精神エネルギーが高いために、前向きに熱意を持って物事に取り組みやすく、成果を出しやすいのです。

ドラッカー(P. F. Drucker)は、50年以上前に「われわれは未来について、二つのことしか知らない。一つは、未来は知りえない、もう一つは、未来は今日存在するものとも今日予測するものとも違うということである(『創造する経営者』上田惇生訳)」と言いました。テクノロジーは進化しています。その進化は複利計算式に加速し、その勢いが衰えることはないでしょう。予測不能な変化に立ち向かう「幸せな人」が、今まで以上に必要になるのは必然であり、この流れは誰にも止められないと思います。

残念ながら、日本は、「熱意のある社員が6%しか存在しない(State of the Global Workplace 2017:Gallup)」という危機的な状況です。さすがに最近は「今まで通りではいけないのではないか、何とかしなくては‥‥‥」と考える経営者が増えてきています。一方で、企業として、「仕組み」で回していくという思考から抜け出せていないため、そこにコンフリクトがあります。 過去の成功体験である「仕組みで回す」やり方と、「予想不能な変化に対応する」やり方、その2つを両立させるにはどうすればいいのか、多くの企業が悩みはじめており、それが経営課題になっていると感じます。

幸せな組織には、共通する4つの特徴がある

「幸せで生産性の高い組織」の特徴について教えてください。

矢野: 私たちは、「組織のいい状態」というのがどのような要素で成り立っているのかを明らかにするために、様々な企業、業種、職種の大量のデータを取得し解析してきました。そして、幸せで生産性の高い状態の組織にある、4つの普遍的な特徴を発見しました。その4つの頭文字をとって、その条件をFINE*1と呼んでいます。


*1:FINE 幸せな組織の普遍的な4つの要素

F(Flat):均等。人と人のつながりが特定の人に偏らず均等である

I(Improvised):即興的。5分程度の短い会話が高頻度で行われている

N(Non-verbal):非言語的。会話中に身体が同調してよく動く

E(Equal):平等。発言権が平等である

これまでも、「風通しのいい職場」「コミュニケーションが大切」ということは言われてきましたが、それがデータによって、FINEという形で、具体的かつ実践的になったわけです。そして、この条件は、企業だけにあてはまるものではありません。私たちは、どのような働き方をしていても、働いていなくても、会社や地域、さまざまなコミュニティや家族の中で人と関わりながら生きています。世の中はそもそも組織でなりたっている、と考えれば、社会全体に応用できる「いい関係」の条件と言えます。

変化を機会に変えることが、幸せになること 多様な変化に、多様な視点で向き合うトレーニングを。

矢野: 先ほど、「幸せ」とは「前向きな状態」のことだと言いました。この変化する社会の中では、環境の変化を機会に変えることが「幸せな状態」につながります。これは、変化に対して的確に向き合って「前向きな状態」になることで、変化を幸せへの機会に変えていくということです。

変化に的確に向き合うことは、誰でも練習で身に着けられます。そのスキルのトレーニングのために、私たちは「FINE(幸せな人間関係の条件)」に、心の前向きさを表す尺度である「HERO(心の資本)*1」の視点を加えて、いろいろな変化に的確に向き合うための視点を16個導き出し、体系化しました。 この16個の視点は、みなさんの身体の維持に不可欠なビタミンやたんぱく質や脂質といった栄養素と同様、メンタルなウェルビーイングとソーシャルなウェルビーイングのために不可欠なものなのです。

16の変化への視点(参照:『予想不能の時代』p281,図8-2.)は、「私」「私たち(人間関係)」と「内面(表に見えないあなた)」「表出(表に見えるあなた)」の2軸4象限で考えられています。 たとえば、「置かれている状況や、やるべきことを受けとめて素直に実行する」という「私」の「内面」についての視点。「先が見えなくても、検討はほどほどに行動を起こす」という「私」の外へ向けた「表出」の視点。「新しい人やコトに出会ったときに、心を開いて交わる」といった「人との関係性(私たち)」における「内面」の視点。「人と未来のストーリーを語り合って、共に創るために前へ進む」という「私たち」としての「表出」の視点などがあります。 16個の視点が、世の中の変化への対応の視点を網羅しています。


*2:HERO(心の資本):組織行動学の権威、フレッド・ルーサンス教授(ネブラスカ大学名誉教授)が提唱。

様々な学術研究を検証し、持続的で学習可能な幸せを表す重要な4つの尺度を明らかにした。

H:Hope(ホープ) 自ら進む道を見つける力

E:Efficacy(エフィカシー) 現実を受け止めて行動を起こす力

R:Resilience(レジリエンス) 困難に立ち向かう力

O:Optimism(オプティミズム) 前向きな物語を生み出す力)

社会には多様な変化があり、多様な人たちがいます。 16個の視点は、みんなを前向きで幸せにするのでしょうか?

矢野: 私たちが置かれた立場やできることなどは多様ですが、生体反応や感情には共通性があります。この16個の視点は、人類共通の生体反応や感情が根底にあることを前提に、その共通部分をシンプルに表現にしたものです。 置かれている環境によって、具体的な選択や判断、行動は一人ひとり違います。ですから、16の視点は、あえて具体化し過ぎないようにしています。科学に基づいているが小難しくなく、誰もが理解できるふつうの言葉を使う。ほどよい抽象度の、みなさんの状況に当てはまる表現になるように考え抜いています。そこがポイントです。

一日一回、ポジティブな行動に意識を向ける メンタルとソーシャルのフィットネス

幸せな人や組織づくりのために、どんなサービスをつくっているのですか?

矢野: 人を前向きにするアプリを提供しています。 そのアプリでは、毎日おみくじのように「16の視点」の一つがプッシュ通知で届きます。そこで「この視点を、あなたの今日に向けて与えられたガイドだと思って解釈してください。そして、あなたの今日一日の具体的な予定や、やらなくてはいけないことを思い浮かべて、どんなことをやりたいかを書いてください。」と教示します。使用者は、最低20文字以上で前向きな一日の宣言を書きます。「今日もがんばろう」だけだと文字数が足りません。そんなときは、キャラクターが「あと10文字だよ」と応援してくれます。20文字が、やりたいことをある程度具体化する程よい文字数になります。 実際に、これだけで心の資本は大きく改善しました。私たちの心は、注意をどこに向けるかによって決まります。一日一回、ポジティブな行動に注意を向けるだけで、生活はまったく違ってくるのです。

私は「幸せは、前向きな一日を、周りと応援しあって作るもの」と考えています。このアプリでは、前向きな一日を習慣づけていく工夫として、誰かが今日のチャレンジを発信すると、自動的にその人をサポートする応援部隊が任命されるようになっています。応援といっても、大げさなものではありません。「うまくいくといいですね、頑張ってください」と返す程度でもよいですし、「いいね!ボタン」のようなものを押すだけでもいい。サポートする人とされる人は顔見知り程度でも構いません。

また、私たちの研究では、幸せには「周りの人も幸せにするよい幸せ」と、「周りを不幸にして自分だけが幸せになる悪い幸せ」があることがわかっています。悪い幸せは、組織全体を不幸せで生産性が低いものにします。組織では、自分一人で幸せになるのではなく、周りと一緒に幸せになってFINEな関係を作ることが求められているのです。 アプリのバックグラウンドに自動アサインシステムを組み入れることは、「フラットなつながり」づくりにも貢献します。このアプリは、わたしたちの会社でも毎日使っていて、既になくてはならないものになっています。健康のためにフィットネスをずっと続けるのと同じで、これはメンタルとソーシャルのフィットネスとして、維持し高め続けていくことが大切だと考えます。

なんのためにやるのか、計測数値は何を表すのか その「意味」を腹落ちさせる

サービスがうまくいくケースと、うまくいかないケースの違いは何ですか?

矢野: この取り組みをうまく機能させるためには、まず、何のためにやるのか、やることの「意味」を理解してもらうこと。これが非常に重要です。加えて「毎日やってみたい」と感じてもらえる、親しみやすいユーザーインターフェイスも非常に大切です。

うまくいかない要因として、大きく2つあります。 一つは「幸せという漠然としているものの数値」への理解を得ることの難しさです。数値化は非常に大事で、数値があるからこそ管理も改善もできます。数値があることのアドバンテージはものすごく大きい。 ただ、新しい計測手段や尺度を導入することのハードルは、非常に高いと感じています。たとえば、血圧の数値は、健康の尺度として実感はできないけれど、お医者さんという権威によって健康の指標になっています。「幸せ」は、人によって考え方や感じ方も異なるものです。その漠然とした尺度と数値をみんなに受け入れてもらうことは、たとえデータがあっても簡単ではありません。この数値があなたの幸せの数値です、と言われて、どうしても納得できない人がでてきます。

もう一つは、「数値は、それを改善しようとする意志を持つ人に提供しないと、なんの役にも立たない」ということです。「測るだけダイエット」が流行りましたが、あれは本当に測るだけではないですよね。強く意識はしないまでも、なんとなくその日の食事や行動を振り返り、生活にフィードバックしているからこそ意味があるわけです。 つまり「数値の意味の理解」と「改善する意思」とがセットになって、初めて数値は役に立つのです。やることの意味を腹落ちしていない段階でアプリを渡してもうまくいかないことが多いですね。

これまでアプリを導入した企業には、エンゲージメントが上がり、離職率も低くなったという実績も多数出ています。一方で、導入当初でつまずくケースもあります。関心の程度に凸凹がある中で、ある程度の強制力がないと取り組みがうまくいかないという難しさを感じています。組織の中の少数でも前向きな人からスタートして、成功して、そこから広げていくという進め方も大事でしょう。

会社以外に、どのような場での活用を考えているのでしょうか?

矢野: 会社でも会社以外の組織体でも、基本的に前向きな毎日を作る考え方やアプローチは変わりません。組織体は、例えば、PTA、犬の散歩の仲間、同窓生、同期など、社会にある様々なつながりが考えられます。これからは、与えられた組織にいるだけでなく、自律的にいろいろなつながりを持つことがその人の基盤になってくる時代ですから、流動性の高いつながりも生まれるでしょう。 実際に、私たちの活動に対して、最近は地方での勉強会や学校の卒業式の講演などの依頼が増えています。大企業や都市部、意識の高いリーダーだけでなく、「どうやったらいいのかはわからないけれど、ウェルビーイングや幸せが大事なんじゃないか」「自分ゴトとして取り入れたい」という関心のある人たちの裾野がかなり広くなっていると感じています。中には、このアプリを家族でやってみますという人も出てきています。私事ですが、お正月に親族11人、3世代が集まる機会があり、「昔の日本にはこういうつながりがいっぱいあったのだろうな」と改めてその良さに気づきました。家族や親戚の中で、応援し合って、毎日アプリで16の視点を実践して、前向きに幸せになっていく活動などは、とてもいいことですし、こうした様々なつながりの中での実践を広げていくことが、よりよい社会づくりになると思います。

また、大きな組織では、既にさまざまなサーベイを行っています。最近では、従業員サーベイにエンゲージメントやウェルビーイングの視点を入れているケースもみられます。ただ、定期的なサーベイをやってはいるけれど、改善策は現場任せというところが多いのも事実です。ですから、私たちが得意とする改善のためのしくみを、既存のサーベイと併せて活用してもらうことも可能です。既存のサーベイ結果と照らし合わせながら、ピアサポートも加えて本人の行動変容を起こし、その変化を見る。そして、良かった悪かったというフィードバックを本人が回していく、そのサポートができる余地もまだまだあると思っています。

「前向きな一日のストーリー」をつくる そのスキルが、社会をウェルビーイングにする

最後に、前向きな社会を作っていくための視点とメッセージをお願いします。

矢野どんな組織や人、どんな立場や業務にとっても、「変化に向き合うこと」と「既知のことに向き合うこと」、この両輪をセットで考える必要があると認識すべきです。 ただ、「変化に向き合って、みんなで幸せになりましょう!」というだけでは能天気です。また、既存業務と切り離して新しいコトを実施するとなると、「いや、幸せになりたいとは思いますが、会社でそんなこと話すことじゃありませんし‥‥‥」となってしまいます。 ですから、組織の中で「幸福化」が必要なことを理解してもらうときは、これまでやってきた既知の業務に関連づけ、連続性を持たせて話をします。 「みなさん、PDCA回したり、業務マニュアル作ったり、いろいろ苦労して効率よく仕事を進めるために努力していますよね。それはそれで大事です。でも、それだけじゃダメなんです。なぜなら、世の中は変化しているからです。それに、マニュアル通り仕事をやるだけでは、みなさん一人ひとりに付加価値がつけられません。やりがいも生まれないんじゃないでしょうか。ですから、これは、あなた方一人ひとりの問題であって、例外はないのですよ。」ということをお伝えします。

日々生きている現実を踏まえた上で、そこから、16の視点を使って多様でポジティブなストーリーを立てることは誰にでもできます。ストーリーを作るスキル自体が、まさに「前向きさ」であり、このスキルがあれば、過去も未来も現在も新しい捉え方ができるのです。このスキルは自転車の運転と同じで、誰でも練習すれば上手になりますし、練習してうまくなった人が幸せになっていきます。繰り返しになりますが、「前向きさ」は命令されたり、与えられるものではありません。一人ひとりが置かれた状況に応じてストーリーを作って、周りと応援し合いながら、まずは、前向きな今日一日を作っていきましょう。

聞き手

田中 卓

Hakuhodo DY-Matrix マーケティング・プラニングディレクター。 100年生活の「Well-being≒満たされた暮らし」のモデルをつくることを目指し、業務に取り組む。

殿村江美

㈲E.flat 代表。 ウェルビーイング時代、人々がポジティブな感情で生きられる生活価値を創り、届けるマーケティング活動に携わる。

プロフィール
副所長
田中 卓
95年博報堂入社。21年から、Hakuhodo DY MATRIXに在籍。100年生活の「Well-being≒満たされた暮らし」のモデルをつくることを目指し、業務に取り組む。共著に『マーケティングリサーチ』がある。