前野隆司(まえの・たかし)さん
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼同大学ウェルビーイングリサーチセンター長。幸福学、幸福経営学、イノベーションの研究・教育を行なっている。著書に、『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房)、『幸せのメカニズム』(講談社現代新書)、『幸せな人生を送る子どもの育て方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『幸せな職場の経営学』(小学館)、『幸せの日本論』(角川)など多数。
前野マドカ(まえの・まどか)さん
EVOL株式会社代表取締役CEO。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科附属システムデザイン・マネジメント研究所研究員。国際ポジティブ心理学協会会員。サンフランシスコ大学、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)などを経て現職。著書に 『そのままの私で幸せになれる習慣』(WAVE出版)『月曜日が楽しくなる幸せスイッチ』 (ヴォイス)、『ニコイチ幸福学』(CCCメディアハウス)など。
前野隆司さん(以下、隆司): ウェルビーイングは、1980年頃から研究されていてその勢いは右肩上がりです。研究が一番進んでいるのはアメリカ、次いでイギリス、そしてヨーロッパ、アジアと続きます。Well-beingは英語ですし、日本では概念としてわかりにくく、広がりにくい面がありますね。今は10%から20%ぐらいの人が知っている感じだと思います。アメリカでは、すでに、「経営者が従業員のウェルビーイングを考えない会社なんて、もうないよね」ぐらいのレベルになっていますが、日本は、アメリカに10年遅れで、ようやく少し流行り言葉のようになり始めた、といったところでしょうか。
ただ、最近は、ずいぶんいろいろな方面から声をかけていただくようになりました。意識の高い経営者をはじめ、結婚相談所、お坊さん、予防医学、町づくり、ハウスメーカーなど……。そういう意味では、少しずつウェルビーイングのすそ野が広がってきているな、という実感があります。
隆司: ウェルビーイングは欧米型の学問から入ってきているので、日本人の感覚とは少し違う部分があります。欧米人にとっての幸せは、ハッピーで元気いっぱい、ハイテンション型。一方で、日本人は「何もなく、平穏無事でよかった」というカーム(Calm)な状態に幸せを見出すような傾向がありますよね。そこは大きな違いです。
内田由紀子先生(京都大学、文化心理学者)は、集合的幸福という概念を提唱されています。文化心理学には個人主義と集団主義という考え方があります。幸せやウェルビーイングについて質問されたとき、個人主義的な欧米では、個人として自己確立している人は、10段階評価をするときに10を基準に考えます。10点を基準にして少し悪くても8点というように考える結果、スコアが高くなる。一方で、集団主義的な傾向のある日本人は、周りの人のことを考えて真ん中の5点を普通と考えるから、幸せでもせいぜい7にしてしまう。だから、結果的にスコアが低くなるといった傾向があります。
前野マドカさん(以下、マドカ): 私は、親子に関するお話を聞くことが多いのですが、日本の家庭では、周りへの配慮もあってか、親が目の前にある「幸せ」について、ほとんど口にしないことが気になります。学校でも家庭でも幸せについて教わらない子どもたちが大人になったら、たとえ幸せな状態にあっても「それが幸せなんだ」ということに気づきづらくなってしまいますからね。
5年ほど前から視察に訪れているフィンランドやオランダでは、小学1年生の段階で、自分にとって「幸せな状態」とは何か、を学校で考えさせます。幸せについて考えるだけで幸福度が上がるという研究もあるので、これは大切なことだと思います。また、生まれてから死ぬまでのストーリー仕立ての塗り絵を授業で取り入れています。日本では死がタブー視されがちなので、最初はすごく驚きましたが、改めて、人には必ず終わりがあるということもセットで考えながら人生をデザインしていくことが大事なんだと気づかされました。それが、今ある幸せを大事にすることにつながると思います。
隆司: 私は、研究から「幸せの四因子*1」を提唱していますが、結局突き詰めると、「やりがい(働きがい、生きがい)」と「つながり(多様な人との関係、信頼・尊敬関係)」がある人が幸せなんです。逆に、「独りぼっちで、やりがいがない」のが一番つらい状態といえます。ですから、人生が長くなった今、仕事人生からそれ以降へ、うまくシフトすることがとても重要になります。
特に東京はこれから超高齢化を迎えます。70代、80代、90代をイキイキと生きるために、趣味や社会貢献活動などで多様なつながりを持つ、それは、高齢者同士、若い人と高齢者、あるいはインターネットで世界中の人とつながるのでもいいです。とにかく「多様なつながり」を作っていくことが急務です。
*1 幸せの四因子: 日本人1500人へのWEBアンケート結果の因子分析から導き出した、幸せを構成する4つの因子で、「やってみよう!」「ありがとう!」「なんとかなる!」「あなたらしく!」から成る。
マドカ: ある大手化粧品会社の、全国のフランチャイズにいらっしゃる高齢のビューティアドバイザーの方が、地域に貢献されている取り組みをお手伝いしています。80歳を超えた方も結構いらっしゃいますが、みなさん現役で肌のお手入れや化粧品の使い方を教えています。そういった方たちに話を聞くと、「自分がかかわることで地域に笑顔が増えていく。それは結局自分をいたわることにもつながっています」とおっしゃいます。
高齢者の方がイキイキした姿を見せることが地域の活力になるということを目の当たりにする中で、「やりがい」「生きがい」さらには「他者への貢献」を生み出す活動を、行政だけでなく、民間企業でももっといろいろできるのではないかと、強く感じています。
隆司: そうですね。実は美容でなくてもいいんですよ。このケースで重要なのは、いろいろな人が立ち寄る、町の拠点になっているという点です。別に収入はすごく多くなくてもいいと思います。80代、90代でも、みんなでつながり合って、新しい「やりがい」を作り出す拠点、そのシステムづくりが大事です。病院と薬局に、まだまだ元気なおじいさんおばあさんが集まっているのはもったいないですよね!マトリクスさん、是非、町の様々な拠点づくりをやってください。
マドカ: 私たちがかかわっているプロジェクトに、お寺を拠点とした「ヘルシーテンプル」があります。これは、コロナ禍で日本が初めての緊急事態宣言を発出したときに、お坊さんたちが「自分たちにできることは何かないか?」と考えられて、オンライン朝活としてスタートしました。全国各地から、宗派を超えた僧侶が毎朝輪番制で、マインドフルネス瞑想、大手スポーツメーカー監修のストレッチ、説法をして、それに幸せの4因子のお話も加えて、毎朝30分間お届けしています。これまでに、のべ2万人が参加してくださいました。
毎回、最後には、お坊さんからの問いに参加者がチャットで応えるという時間もあり、お年寄りや独り身の方など、様々な方にとって、いつしかオンラインのプログラムが交流の場となりました。もともと計画していた期間が終わる際に止めるという話もありましたが、参加者から「この時間が生きがいだから止めないで!」という声が集まった結果、その後もYouTubeチャンネルで活動を続けています。お坊さんたちも、みなさんから元気をいただいて一日がんばろうと思える!とおっしゃっていて、双方にとって意味のある拠点に育っています。お寺は、昔、社交場だったのですが、その役割を今取り戻しているという感じです。
隆司: 様々な調査結果によって、年齢と幸せの関係はUの字状になっていることが知られています。さらに、スウェーデンのTornstam(トーンスタム)が1980年代に提案した「老年的超越」という概念も併せて考えると、心理学的な幸福感は、50歳くらいが底で、それを超えるとどんどん上がり、90歳100歳になると、誰もが老年的超越という非常に幸福度の高い境地に達するということになります。いわゆる仏教や東洋思想にある「悟り」に近い、「ありのまま」の状態、武道とか茶道とかの達人の迷いのない境地に近づいていくわけです。
現状では、歳をとると、病気が増える、物忘れが激しくなる……といったネガティブな面がクローズアップされがちです。しかし、心理的な面ではどんどん幸福度は高まっていきます。年齢を重ねるにつれて、記憶力が悪くなる一方で、細かいことが気にならなくなります。余計なものがそぎ落とされて大局観が養われると、幸せな状態に近づいていきます。こういうポジティブな面を、もっともっと社会に発信していく必要があると思います。そうすれば、もっと歳をとることを楽しめるようになります。
また、歳をとると、心が静まって、小さな幸せを楽しむ力が高くなります。古来、日本人は「春は曙が美しいな~」「秋は月がきれいだな~」と日々感じて生きていましたよね。欧米流・近代流の大きな幸せをよしとする視点からみると、とても小さなことに見えるかもしれませんが、本当は身の回りにたくさんある、日々の小さな幸せへの気づきといった東洋的な感覚は大切にすべきだと思います。
田中 卓
Hakuhodo DY-Matrix マーケティング・プラニングディレクター。 100年生活の「Well-being≒満たされた暮らし」のモデルをつくることを目指し、業務に取り組む。
殿村江美
㈲E.flat 代表。 ウェルビーイング時代、人々がポジティブな感情で生きられる生活価値を創り、届けるマーケティング活動に携わる。